アラカルト

発見した巨大パワーストーン

今日も素晴らしい登山日和☆体がちょっと重かったんですが、せっかくなので先週から気になっていた裏山に再度登ります。先週発見した疏水沿いの登り口から上がり、この間90分くらいかけて行ったところに20分で到着。天智天皇陵の裏には形の良い山が3つあり、最近知ったんですが、右から「鏡山」「聖山」「神山」と呼ばれます。天皇陵の真裏の山を鏡山と言うのかと思ったら、神山(恐らく読みは<かみやま>)なんです。そして、天皇陵と神山を含むこの地域の地名は「御陵大岩町」です。そこで私の髪の毛が「ピン」と立ちました。そうです。ここは昔神域だったのです。神山は恐らく神奈備山。そして「大岩」とは恐らくご神体となる磐座でしょう。しかし、この地域に神社はありません。まったくおかしいのです。ですので、鏡山から神山に抜ける道や、神山一帯で探索を始めました。途中、山ツツジがとても綺麗でした☆ちょっとした岩は沢山ありますが、「大岩」と呼べるべきもの、パワーを感じられる岩はありませんでした。日常的にこの辺りで登山をされているおばさまや、神山の真下にある「みささぎの森」のおじさま方に根掘り葉掘り聞いても「知らない」とのこと。これは見つけるまでそうとう時間がかかるだろうなぁと思いながらトボトボと疏水を歩いていたら、「本國寺」の前に出ました。本國寺はもともと鎌倉にあったお寺ですが、様々な経緯を辿って50年前にこの地に来ています。日蓮聖人の念持仏や加藤清正が寄進した門、ご利益があるとされる九頭龍神が祀られていることで知られています。ただこのお寺、不思議なことに神山と天智天皇陵との間にあるんです。もしかしたら、お寺の裏山に何かあるかも知れないと思って、詳しく探査することにしました。そして、山手に墓地があるのでそちらに行きかけたとき、本堂の裏手に見事な巨石を発見しました!思わず「あっ!!!」と叫んでしまいました。表からはまったく見えません。まさにお堂に隠されるような形になっていましたが、きちんと祀られていました。私の中では大発見でした。まさかこんな下の方にあるとは思いませんでした。18年この地にいますが、まったく気がつかなかった。もしかしたら一生知らずに生きていたかも知れません。これは北の岩屋大明神の可能性が高い。山科には東の岩屋大明神(岩屋神社)と西の岩屋大明神(山科神社)がありますが、伝承によると北にも岩屋大明神があったとされています。しかもこの巨石、形が丸くまさに「玉」のような岩なんです。「玉(たま)」とは「魂」でもあり、命そのもの。巨大なパワーストーンです。岩屋神社の巨石は陰陽岩ですから、生命の根源。これらが、パワートライアングルとなって山科盆地を守護していたはずです。岩倉にある磐座よりもよほどご立派。なぜここだけが信仰されなくなったのかという理由は、恐らく天智天皇陵ができたからでしょう。御陵を作る際、この神奈備山と磐座のある場所が選ばれ、天皇陵そのものが岩屋大明神とされたのだと思われます。また、位置的に東経135度48分にあり、これは奈良の平城宮や奈良の多くの古墳と一致します。大津ではなく、ここが選ばれた理由がわかってきました。そこにちゃっかり居座り、巨石のパワーにあやかったのが本國寺だったのです。山科にとっては恐らく縄文時代から続く地域の守護神だったでしょう。でも、ずっと影にかくれていたのね、かわいそうに。郷土史家の方々や岩屋神社に報告しないと。この岩をどう再認識させるかですね。巨石の前で一人感動し、いろいろお祈り。ただ、山に登っている途中から偏頭痛がしてきて、家に帰ったら即寝。起きたら夜でした(笑)今夜のお月様は綺麗ですね☆いろいろ探査したので、お昼はかなり遅くなりましたが天皇陵近くのネパール料理のお店で日替わりカレーを頂きました☆

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│-│-│2019/04/20(土) 23:52

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