アラカルト

セノグラフィカの資料画家

水曜日は会議の日ですが、今日はとくに延々と続いた感じです。大事な事なので仕方ないですが、会議嫌いの私には辛いものがあります。◆年始から悲しいお知らせが届きました。以前の職場で一緒に仕事をしていた大先輩の中林啓治さんが永眠されたとのお葉書を奥様から頂きました。亡くなられたのは、昨年の11月15日とのことです。心よりご冥福をお祈り申し上げます。彼は1935年生まれで、多摩美術大学を卒業後、吉田謙吉舞台美術研究所を経て日活撮影所で映画美術デザインの仕事をされます。1971年にトータルメディア開発研究所に入り、とくに展示パースなどの絵を得意としていました。引退後に株式会社セノグラフィカという会社を立ち上げ代表をされていました。かなり精密な絵を描かれる方で、資料画家といったら良いでしょうか、写真よりも物の本質を捉えた作品を作られていました。代表的な著書(作品)に、写真の『記憶の中の街 渋谷』や、民具学会・展示学会等を通じて民俗学者の岩井宏實先生と関わられた『日本の生活道具百科』『民具の事典』『昔の道具百科』『ちょっと昔の道具たち』『昭和を生きた道具たち』などがあります。まだまだお元気とばかり思っていたので、とても残念です。私は彼の真っ直ぐな性格が好きでした。向こうの世界でもコツコツと絵を仕上げて下さいね。

1.JPG
│-│-│2023/01/18(水) 21:53

page top