アラカルト

奇妙な合致

昼間はまだ暑いですが、秋の夜長は良い感じになってきました☆で、以前の大阪の続きです。まだあるんです。四天王寺を見た後に行ったのが、すぐ近くにある生國魂神社という所。よく分からずに寄ったのですが、ここがもの凄い神社でした。祭神が生島大神、足島大神。でも、「いくたまさん」の愛称で知られ、土地の名前も生玉。それで「国土全体の國魂の神」というのですが、なんだかわけわかりません。境内には他にもいろいろ祀られていますが、なんとなく新しさを感じます。よくよく調べてみると、元は今の大阪城のところにあったそう。上町台地と呼ばれるところ。蓮如さんが石山本願寺をその隣に創始し、その後秀吉が大阪城を建設するのに、神社をまるごと今の場所に移転させたため、新しく感じたのです。つまり、大阪城の本家本元であり、石山本願寺の「石山」は恐らく「磐座」を意味します。かなり巨大な磐座が上町台地にあったはずです。秀吉はそれを隠したか、石垣に利用したか。罪なことをしたものです。そして、生島・足島を、生玉・足玉に置き換えると、十種神宝につながります。つまり、神武天皇の創始とされていますが、もっと古くニギハヤヒの降臨と関係する神社であることは間違いありません。ここから話はややこしくなるのですが、実は生島足島神社というのは長野県の上田市にもあるのです。後に長野に分祀されたとの説もあるようですが、よく調べてみると建御名方富命が諏訪へ向かっていた時、生島・足島両神に米粥を煮て献じたという伝承があります。つまり神武天皇よりも古い可能性があり、この上田辺りはニギハヤヒと関わる土地だったのではないでしょうか。つまりいくつかある高天原の一つである可能性が高いと考えます。長野や山梨は縄文遺跡がそれこそ無数にあり、当時から信仰されている土地のような気がしました。で、驚いたのは諏訪大社の背後にある神奈備山の名を「守屋山」。諏訪の神をお祭りしている氏族が守矢氏。守屋山の麓ににはなんと「物部守屋神社」があります。そして、物部守屋が捨てた阿弥陀仏を祀った寺院が善光寺であり、この諏訪大社・生島足島神社・善光寺はほぼ南北にそろって建てられています。一方、大阪城と四天王寺もほぼ南北線上にあります。非常に奇妙な合致です。ニギハヤヒは物部氏の祖神とされますが、かつて居たところが長野であり、ニギハヤヒ降臨に随行し、蘇我氏に殺されてから、地元にその霊を祀ったような気がしてなりません。なんとなく立ち寄った四天王寺と生國魂神社ですが、不気味なほど長野と深い関係にありました。その後、ニギハヤヒは隠されますので、移転も加わりわけのわからない状況になったのでしょう。って、いつも勝手なことばかり書いていますが、結構いい線いっていると思います。証明する手段はありませんが…。生國魂神社の中で特に霊気が強かったのが鴫野神社(巳さん)。ここも元は現在のOBPの所にあった「弁財天」です。だから白蛇であり、セオリツヒメ。女性の神であり、あの淀君が深く信仰したようです。表に「心」の字があり、裏に「縁」がある面白い提灯が飾られていました。お昼は学内のカフェに新メニューとしてできたスパゲッティーを。学食よりちょっと高級な感じが良かったす☆

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│-│-│2018/10/09(火) 23:12

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