アラカルト

夏至と三上山と銅鐸と

なんか爽やかな天気。今年は梅雨を通り越して夏になりそうですねぇ。今日はビアザ淡海で滋賀次世代文化芸術センターの総会があったので、琵琶湖へ。見晴らしがよく三上山がよく見えます。この時期は夏至ですので、太古の時代は二見ヶ浦のようにこの山から昇る太陽をどこかで拝んでいたと思われます。以前は守山の伊勢遺跡という円形の不思議な遺構があるのですが、そこが太陽礼拝の拠点と思っていましたが、どうも夏至のラインとはずれるようです。今は栗東の宇和宮神社辺りが怪しいと勝手に思っています。ただ、この辺りは銅鐸文化だったので、それを否定する人々に拠点そのものが破壊されたのかも知れません。ただ、面白いことに銅鐸をよく見ると、下側は「山」で、取っ手部分は「山からまさに昇ろうとする太陽」のように見えるのです。つまり、銅鐸のモチーフは三上山(神奈備山)から昇る朝日(魂が再生する瞬間)なのではないかと個人的に考えています。もともと銅鐸は道具として外からもたらされますが、その形が尊い姿によく似ていることから巨大化し、信仰の対象になったように思えてなりません。よく流水文銅鐸(図は「琴詩書画巣・日本絵画の始まり」のHPより)というのを見ますが、あれは流水ではなく山にかかる「雲」や「霞」をイメージしていて、動物や狩りの絵は山の中の恵みやそれを採取する人間を表していると考えます。さらに、銅鐸まわりにデザインされたギザギザ文は太陽の光芒ではないでしょうか。その後、巨大銅鐸になるとその光芒が飛び出したようなものも作られます。この銅鐸のデザインがその後の巨大前方後円墳のデザインにも採用されたというのが私の考えです。縄文・弥生・古墳時代とモノは変われどもモチーフ・デザインは変わらない。このことは古代人の生死観や信仰を考えていて行き当たりました。さらに、古墳時代が終わってもこの山と太陽のモチーフは沢山作られ続けるのですが、長くなるのでそれはまたいつか書きたいと思います。今日のお菓子は同僚の先生からいただいた福井の「水月年縞」。あの世界標準と言われる水月湖の年縞をお菓子にしちゃったものです。こんなのあったんだ、スゴイ!お酒が入っていて、ちょっと大人の味がしました☆ごちそうさまでした。

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│-│-│2019/06/24(月) 22:51

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