アラカルト

大酒神社の謎

京都の謎の続きです。太秦の広隆寺近くに知る人ぞ知る「大酒神社」があります。ここの祭神は、大酒飲みではなく、なんと秦の始皇帝であり、弓月王であり、秦酒公なのです。秦氏が始皇帝の末裔と言われるゆえんです。弓月王国はいまのカザフスタンあたりだそうです。神社の発祥は300年代のようですから、もしかしたら京都で一番古いかもしれません。大酒の名は、かつては大避であり、さらに古くは大闢と表記されたそうです。大闢とは景教では「ダビデ」意味するところから、キリスト教との関係を指摘されています。解説板には当時約2万人が帰化したとさらっと書いていますが、ある意味とんでもない時代(状況)だったことがわかりますが、日本史の中で秦氏はほとんど語られることはありません。最後のパンケーキは帰りに寄った松之助さんのものです☆

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│-│-│2015/06/14(日) 00:21

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