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あわのうた 〜平和を祈る歌〜

後藤さんたちのことが気になって仕事に身が入りません。どうにかならないものでしょうか。暴力を暴力で封じ込めることはできないと思っています。

最近、震災の関係で少し着目している文献に「ホツマツタエ」という、旧辞や帝紀に相当する古事記・日本書紀の原書ではないかと言われているものがあります。これまでは完全な偽書扱いでしたが、太古の津波伝承なども記載されており、仙台ではその研究をしている人が20年程前から津波を予測し警告していたことが注目されました。その文献の中に「あわのうた」という歌があり、この歌が頭から離れませんので、ご紹介をしておきます。

ホツマツタエはヲシテ文字という、ひらがなでもカタカナでもない文字で書かれています。近年の研究では、ひらがな・カタカナの原語とも考えられており、漢字が伝来する前の固有文字ではないかとして着目されるようになってきています。ヲシテ文字は48音であり、それぞれの文字一つ一つに神聖な意味が込められていることも解明されてきています。最初の「ア」は「父・天」の意味であり、最後の「ワ」は「母・地」の意味だとされています。

「ホツマツタヱ」の「アワの国」の章には、イザナギとイザナミが国の争そい事を収めようとしたときに、その原因を「人心の乱れ」「言葉の乱れ」と考え、これを正すために「あわのうた」が作られ、それを各地で歌うことで国が治まり、それにちなんで国の名前も「アワ(淡)の国」とし、彼らの功績を讃えたとのことです。これが転じて「淡海(近江)」となったことなども書かれているようです。以下が「あわのうた」です。

 あわのうた
 あかはなま  いきひにみうく
 ふぬむえけ  へねめおこほの
 もとろそよ  をてれせゑつる
 すゆんちり  しゐたらさやわ

いろは歌のように48音すべての字が文字が使用され、心の平和を歌っているとのことです。前半の二十四声をイサナギが歌い、後半の二十四声をイサナミが歌い、カダガキという今の琵琶の原型のような楽器を打って弾き、諸国を巡ったそうです。

私は本の出所はどうであれ、この歌の持つ意味は今にこそ大事だと考えています。こうした歌の構造を考えた人もすごいと思いますが、何より争いを収めるために原子力や武器をつくるのではなく、「歌」という「芸術」でもって治めるという発想は、もしかしたらいにしえの縄文的精神世界のもつ力ではないかとも感じるからです。

ある説によると、この歌は勝手に歌ってはいけないと言われています。であるからこそ、今こそ歌うたうべきだと思うのです。

何とか命だけは助けてほしいと願います。
│-│-│2015/01/23(金) 13:31

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