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地域情報ミニチャレンジの解答と解説山科がわかるミニチャレンジの解答と解説は以下の通りです。
Q1.京都府が指定している「京の伝統野菜」に選ばれている山科の特産は何でしょう? A山科せり B山科とうがらし C山科きゅうり D山科なす 【解答:D山科なす】 → 「東西南北」13P参照 【解説】 京都府が定めた「京の伝統野菜」は、��)明治以前の歴史を有し、��)筍を含み、キノコ類、シダ類は除く、��栽培または保存されているもの及び絶滅した品目を含む、と定義づけられています。伝統野菜に準じるものと、絶滅したものを含め現在40種類が認定されています。ちなみに、なす類は「もぎなす」・「賀茂なす」・「山科なす」の3種類です。
Q2.西野山にある大石神社には誰が祀られているでしょう? A大石良雄 B大石忠雄 C大石良勝 D大石忠臣 【解答:A大石良雄】 → 「東西南北」33P参照 【解説】 大石神社が創建されたのは1935(昭和10)年と比較的新しく、江戸時代の元禄赤穂事件で中核的な役割を担い、これを題材とした「忠臣蔵」で有名になった大石良雄(よしお/よしたか)を祀っています。神社の立地する場所は彼が当時隠棲をしていた場所です。山科では毎年12月14日に大石良雄に関連して「義士まつり」が開催されています。 Q3.御陵駅は付近に天皇陵があるのでこの名前がつけられています。この天皇陵に埋葬されているのは誰でしょう? A醍醐天皇 B天武天皇 C天智天皇 D桓武天皇 【解答:C天智天皇】 → 「東西南北」13P参照 【解説】 蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子(後の天智天皇)は、近江(大津市)に都を移しましたが、山科へはたびたび訪れています。671年に天智天皇がなくなり、この地に陵を造ることになりました。天武天皇の陵は奈良県に、桓武天皇の陵は伏見区にあります。また醍醐天皇は山科とは深い関係のある天皇で、その陵は「醍醐天皇後山科陵」と呼ばれますが、陵地は伏見区(醍醐地域)になります。 Q4.山科ではホタルの育成・復活事業をしていますが、そのホタルの種類は何でしょう? Aベニボタル Bへイケボタル Cオバボタル Dゲンジボタル 【解答:Dゲンジボラル】 → 「東西南北」41P参照 【解説】 山科では、2001年より山科青少年活動センターが中心となって河川環境調査、ホタルの幼虫育成などの活動を通して、ゲンジボタルが区内の河川で自生できるまでになりました。とくに6月の初旬から中旬にかけて、安祥寺川、音羽川、藤尾川、四ノ宮川、山科川、旧安祥寺川、高川などでみることができます。ちなみに、ベニボタルとオバボタルは発光しません。また、ヘイケボタルはゲンジボタルより小さく、田圃などの流れの弱いところを生息域としています。 Q5.現在のJR山科駅ができる以前の旧東海道線・山科駅はどこにあったでしょう? A勧修寺 B小野 C大宅 D大塚 【解答:B小野】 → 「東西南北」21P参照 【解説】 1879(明治12)年に京都駅〜大谷駅の鉄道線が開通し、当時の線路は、現在の名神高速道路京都東インターチェンジ付近から大塚・大宅を通り大宅南部から現在の名神高速道路と重なり西に向かって勧修寺を通りました。当時の山科駅は、小野地域に置かれ、現在小野小学校の北側の高速道路沿いに記念碑が建てられています。 Q6.現在ある東西本願寺の前身となる「山科本願寺」をつくったのは誰でしょう? A空海 B親鸞 C蓮如 D最澄 【解答:C蓮如】 → 「東西南北」38P参照 【解説】 戦乱で苦しむ民衆に生きる喜びを説いた蓮如(本願寺第8世法主)は、1478年、現在の西野、東野に跨る広大な地域に、本願寺を中心とした寺内町を築きました。蓮如は1499年に山科本願寺で没しますが、その後、実如(第9世)と証如(第10世)によって敷地の拡張と整備が継続されます。しかし1532年に、近江六角氏と法華宗徒らの焼き討ちによって焼失し、以後再建はされませんでした。ちなみに、Aの空海は真言宗の開祖、Bの親鸞は浄土真宗の開祖、Cの最澄は天台宗の開祖です。 Q7.清水焼団地では年に2回のお祭りがありますが、それは「陶器まつり」と何でしょう? A清水祭 B陶灯祭 C京焼祭 D楽陶祭 【解答:D楽陶祭】 → 「東西南北」32P参照 【解説】 清水焼団地は、1968(昭和43)年に山科の西野山に工業団地として誕生しました。この地域では、毎年7月に実施されてきた「陶器まつり」が夏の定番のイベントでしたが、秋の時期(10月)にも催しをということで「楽陶祭」というイベントも実施されていました。しかし、今年(2011年)は、「陶器まつり」の時期が10月に日程変更され、新しく生まれ変わります。 Q8.白樺派を代表する小説家・志賀直哉が山科を舞台に書いた小説名は何でしょう? A山科の思い出 B山科物語 C山科への想い D山科の記憶 【解答:D山科の記憶】 → 「東西南北」11P参照 【解説】 白樺派を代表する小説家のひとりである志賀直哉(1883〜1971年)は、1923(大正12)年の10月から1925年(大正14年の4月までの間、山科の竹鼻地域に住まい執筆生活をおくっていました。その当時書かれた小説に『山科の記憶』という作品がある。彼が住んでいた建物はもうありませんが、近くの四ノ宮川沿いには「山科の記憶」と掘られた旧居跡の碑があります。 Q9.山科疏水の第3トンネル東口の洞門石額(扁額)には、何と書いてあるでしょう? A山紫水明 B随山到水源 C過雨看松色 D美哉山河 【解答:C過雨看松色(かうしょうしょくをみる)】→「東西南北」9P参照(松方正義) 【解説】 琵琶湖疏水の施設の内、12箇所が1996(平成8)年、国の文化財(史跡)に指定されており、山科区内では5箇所存在します。また疏水洞門の石額(扁額)は明治政府の要人により揮毫されたものです。ちなみに、Bの「随山到水源」は第1疏水第2トンネル西口で西郷従道、Dの「美哉山河」は第1疏水第3トンネル西口で三条實美の揮毫です。また第1疏水第2トンネル東口の「仁以山悦智為水歓」は井上馨の揮毫です。 Q10.四ノ宮の一燈園資料館「香倉院」には、主に誰の遺品や資料などが展示してあるでしょう? A人康親王 B大石順教 C西田天香 D明正天皇 【解答:C西田天倉】 → 「東西南北」6P参照 【解説】 「香倉院」は、一燈園の創始者である西田天倉(にしだてんこう)の遺品などの資料を収蔵・展示している資料館です。一燈園は1929(昭和4)年より、山科の地で財団法人として活動をしています。同じ四ノ宮には人康(さねやす)親王の山荘跡(「東西南北」10P参照)は、同じ四ノ宮の泉水町にあり、大石順教の仏光院(「東西南北」34P参照)は勧修寺にあります。 Q11.日ノ岡にある日向大神宮は、何と呼ばれて親しまれているでしょう? A京都の伊勢神宮 B山科の伊勢神宮 C京都の出雲大社 D山科の出雲大社 【解答:A京都の伊勢神宮】 → 「東西南北」15P参照 【解説】 日向大神宮は、社伝によれば第23代顕宗(けんぞう)天皇の時代(5世紀後半)に創建されたとされている、とても古い神社です。境内には、内宮(ないぐう)と外宮(げぐう)の2つの本殿をもち、本殿の葭葺き屋根となっています。その姿は、伊勢神宮の本殿をそのまま小さくしたような形から、「京都の伊勢神宮」として親しまれています。 Q12.小山の伝統行事で、藁を使って大きな蛇をつくるお祭りは、いつ行われているでしょう? A1月4日 B2月9日 C4月17日 D10月の第3日曜日 【解答:B2月9日】 → 「東西南北」23P参照 【解説】 小山の地で行われる山の神を祭る行事は「にのこう(二の講・二九」と呼ばれ、毎年2月9日に行われています。地元の人たちが藁で長さ13mほどの大蛇を編み、地域を練り歩いて音羽川の松の木にかけられ1年間祀られます。山科ではこのほか、1月4日(小野地域の山の神を祭る行事)、4月17日(牛尾山法厳寺の大護摩供)、10月の第3日曜日(山科祭:山科の多くの神社で大祭)などが行われています。 Q13.山科川でよく見られ、背中がコバルトブルーで、主に魚を食べる鳥の名前は何でしょう? Aルリカケス Bヤマセミ Cアカショウビン Dカワセミ 【解答:Dカワセミ】 → 「東西南北」表紙,36,41P参照 【解説】 カワセミは「東西南北」の表紙に使われています。鮮やかなコバルトブルーの体色と長いクチバシが特徴で、魚類などを食べる鳥です。ルリカケスは奄美大嶋と徳之島など南方に生息している鳥です。ヤマセミは白黒のマダラ模様をしており、どちらかというと白っぽく見える鳥です。アカショウビンは全体に赤みを帯びた色をしています。 Q14.大宅の一里塚に植えられている木の種類は何でしょう? Aクスノキ Bマツ Cエノキ Dイチョウ 【解答:Cエノキ】 → 「東西南北」25P参照 【解説】 江戸初期の1604(慶長9)年、徳川家康が主要な街道となる道の両側に、一里(約4キロメートル)毎に塚を盛り、エノキを植えたのが一里塚です。街道を通行する人たちに、距離と位置が分かる目印(道しるべ)としたのです。その後時代は変わり、塚の役割が道路標識にとって代わったため、京都市内にはこの塚が唯一のものです。近年、地域の有志の方が再整備をしたので、綺麗に保存されています。 Q15.小野の随心院で毎年3月に演じられる「はねず踊り」の「はねず」とは何色のことでしょう? A薄緑色 B薄燈色 C薄紫色 D薄紅色 【解答:D薄紅色】 → 「東西南北」26P参照 【解説】 随心院では、毎年3月の最終日曜日に「はねず踊り」というお祭りがとり行われますが、この「はねず」とは、薄紅色を指す古語です。また、境内にある梅園の紅梅の花の色もこのように呼ばれています。ちなみにこのお祭りは、昔この地に住んでいた小野小町を慕った深草少将が百夜(ももよ)通いをした伝説にちなみ、歌と踊りにしたもので、1973(昭和48)年から演じられています。 Q16.現JR東海道線の下をくぐる通路(水路は除く)は、山科区内で何箇所あるでしょう? A8箇所 B9箇所 C10箇所 D11箇所 【解答:C10箇所】 → 「東西南北」には掲載されていません 【解説】 東から�〇優竜楡邯仰�(ガード下)、�⊇�羽神社参道(ガード下)、�H�沙門道(ガード下)�せ害扮愼酲鳴模�(トンネル)�グ他融�道(トンネル)�μ�応寺道(トンネル)��府道(ガード下)�┻軾�街道(トンネル)��陵ケ岡保育園南(トンネル)��花山地下道の10箇所です。現地で確認をするか、住宅地図などで調べないとわからない問題でした。 Q17.山科区総合庁舎は1972年に開庁されましたが、それ以前にあった東山区山科支所はどこにあったでしょう? A四ノ宮 B竹鼻 C西野 D椥辻 【解答:B竹鼻】 → 「東西南北」48P〜50P参照 【解説】 役場(役所)の沿革 西暦1889年(明治22年)4月1日 町村制施行に伴い、宇治郡山科村が成立し山階校内に設置。 西暦1907年頃(明治37年)西野大手先町に宇治郡山科町役場が新設される。 西暦1931年(昭和6年)4月1日 宇治郡山科町が京都市東山区に編入される。 西暦1951年(昭和26年)6月 竹鼻四丁野町に東山区山科支所が新設される。 西暦1972年(昭和47年)椥辻池尻町に山科総合庁舎開庁される。 西暦1976年(昭和51年)10月1日 東山区から分区独立し、山科区が発足する。 以上の様な変遷を経て今日に至っています。したがって解答はBの竹鼻です。 Q18.大正から昭和初期にかけて活躍した著名な鳥瞰図作家で、御陵に墓碑のある人は誰でしょう? A藤野斎 B比留田権藤太 C柳田謙三 D吉田初三郎 【解答:D吉田初三郎】 → 「東西南北」17P参照 【解説】 吉田初三郎は、大正から昭和初期にかけて活躍した人で、観光絵図作家、あるいは優れた鳥瞰図作家として全国にも有名で「大正広重」などとも呼ばれました。御陵にある墳墓は1939(昭和14)年に建てられたもので、「初三郎(よしだ)」とあり、作家のマークが描かれています。他は、幕末〜明治に活躍した人で、藤野斎は時代祭りで有名な「山国隊」の隊長、比留田権藤太は「山科郷士隊」の隊長、柳田謙三は明治初期の山科村の初代村長の名前です。 Q19.この地域の固有種であるミドリセンチコガネは何を主な食べ物にしているでしょう? A草の根 B動物の糞 C樹液 D朽ち葉 【解答:B動物の糞】 → 「東西南北」41P参照 【解説】 ミドリセンチコガネの「センチ」は、「雪隠(セッチン)」の意味で、いわゆる「トイレ」のことです。糞の中に卵を産み、幼虫はそれを食べて成長します。ミドリ(緑)のコガネ(黄金)ムシですので、全身が光沢のある美しいメタリックグリーンをしており、そのため「昆虫の宝石」と呼ばれることもあります。おもに夏の時期に観察することができます。 Q20.三ノ宮は後小松天皇と関わりの深い神社ですが、この天皇の落胤(らくいん)と伝わる人物は誰でしょう? A一休宗純 B法然 C栄西 D道元 【解答:A一休宗純】 → 「東西南北」19P参照 【解説】 三ノ宮には、1396年に後小松天皇(歴代第100代天皇:1377〜1412年)より下賜された「大般若経」600巻が存在します。一休が生まれたのは1394年(明徳5)年の元旦と言われており、幼名は千菊丸です。諸説はありますが、南北朝を統一した後小松天皇の御落胤と言われています。ちなみに、法然は浄土宗、栄西は臨済宗、道元は曹洞宗の開祖です。 │-│-│2011/06/07(火) 19:46│
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