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アラカルト大阪城に天の川があった仕事納めでした。体調不良で授業に来られなかった学生の個別指導・集中講義をしながら、シラバスや年賀状を作ったりしていました。年賀状はやっと完成☆ま、印刷してシール貼っただけですが。今年はかなり減らしましたが、それでも500枚。それで神戸の続きですが、その後心斎橋に行き研究・実習用の機材を買って(これもいつかアップします)から、前に行けなかった「森ノ宮」に参拝してきました。大阪城のすぐ近く、前に行った玉造稲荷神社のちょっと北にあります。聖徳太子が建立した唯一の神社だそうで、やはりここの前身が物部氏に勝利した記念に建立した四天王寺ですから、元四天王寺であることは間違いありません。でも神社です。四天王寺が現在の地に移転した後、この地を治めた氏族が、ここと玉造稲荷神社とそれぞれに神社建立したので元四天王寺が二つあるのではないかと想像します。玉造稲荷神社は玉造氏、森ノ宮は祭神の関係から忌部氏ではないかと想像します。それで、あることを発見。ここは「鵲(かささぎ)の森」ともいわれ、新羅から鵲が献上されたようです。しかも、かつて神社の脇には天野川(天の川)と呼ばれる川があり、鵲橋(彦星が渡る橋=天の川)が明治時代まであったそうです。古い写真がありました。まさか、ここに天の川が存在していたとはまったく気づきませんでした。大阪城の前身は石山本願寺・生國魂神社ですから、恐らく巨石信仰があったと考えられます。そして天の川=七夕信仰と鵲=カラス=太陽信仰と考えると、やはりニギハヤヒの信仰がもともとあり、ほぼ交野市における巨石信仰とニギハヤヒ、天の川=七夕信仰と太陽信仰との関係にほぼ同じということになります。つまり、この地はもともと物部氏・秦氏が治めていたところで、聖徳太子と蘇我氏は彼らを滅ぼしたわけですから、四天王寺というのはやはり物部氏を鎮魂するために建てられたということで間違いなさそうです。たぶん古代史の方であればこの辺は詳しく調べているのでしょうねぇ。カササギはカラスの一種です。現在でこそカラスはゴミを荒らす嫌われ者ですが、かつては太陽の化身であったり、神そのものと考えられていました。いまでもアイヌの人々はカラスを非常に大切にすると何かの本で読んだことがあります。また、熊野の新宮では八咫烏が有名ですが、新宮には神倉神社に神武伝承と関わる巨石があります。巨石は星であり、太陽を意味します。この太陽から八咫烏の存在が浮かび上がってくるわけです。リーガルVの現場百回ではないですが、現場に行かないと分からないことって結構あるものです。交野も一度徹底的に歩いてみたいです。ニギハヤヒという消された太陽神(=天照大神?)の痕跡が色濃く残っている地域です。
│-│-│2018/12/26(水) 23:47│
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