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アラカルト不思議な鳥居のある神社強い風の吹く1日でした。意外と今日の執筆ノルマが早く終わり、前から気になっていた深草の「大岩神社」というところに行ってきました。山科から深草に抜ける道が大岩街道というのですが、その脇に大岩山というのがあります。大岩街道はよく通りますが、実はこの山には一度も行ったことがなく、最近磐座の事ばかり考えているので、行ってみたかったんです。京都には知られざる不思議なところがいっぱいあるんです。写真はその山頂の展望台から見た伏見城。京都盆地の南部が見渡せる絶景地です。この山は細く勾配の急な道ですが車で行けるので、今日は登山ではありません。展望台のすぐ近くに大岩神社があります。病気に験のある神社ということで、いろいろお祈りいたしました。ご神体は本殿の裏にあり、大岩だけでなく、小岩もあり、どうも陰陽(男女)を意味しているようです。ただ、大岩も直径2メートルほどですので、元々あったものというよりは、ここに据えたと考えた方がよさそうです。神社の発祥に疑問をもちました。以前はちょっと荒れていたこともあったようですが、だいぶ整頓されています。が、鳥居や石碑が倒れていたり、あちこちに倒木があるなど、まだ痛々しい感じがします。この神社には、芸術家の堂本印象さんが奉納した一風変わった鳥居があります。堂本印象さん(1891〜1975)は上京区に代々続く造酒屋の三男として生まれます。古美術や茶の湯に通じた文化人であった父の影響を受け、絵や読書が好きな少年として成長。絵が好きだった彼は、京都市立美術工芸学校図案化に進み、卒業後は絵画専門学校を目指しますが、20歳の時に父が他界してしまいます。家を支えるため進学を断念し三越の図案部に就職します。そこで反物の下絵を描く仕事を開始。その後、西陣の龍村平蔵さんという方に才能を見いだされ、彼の援助で27歳にして絵画専門学校に入学することができたのです。そこで日本画を学び始めます。入学翌年には第1回帝展で出品した「深草」が初入選し、その後も帝展を中心に活躍していきます。当初は伝統的な花鳥風月や宗教画を中心に制作し実績をつけ、大徳寺、仁和寺、東福寺、醍醐寺、東寺など、京都の有名寺院の作品を手がけるまでになります。しかし、戦後は時代の空気を読んだためか作風を大きく変化させ、西洋的・現代的・抽象的な作品を精力的に制作していきます。60代になってヨーロッパに半年間滞在した後には、さらに新しい作風に挑み続けます。絵画だけでなく彫刻なども数多く残っています。国内だけでなく欧米でも展覧会に出品するなど、世界的な作家として知られるようになっていきます。70歳で文化勲章を受章し、82歳の時にはローマ法王パウロ6世の依頼を受けて、バチカン近代美術館に飾る絵「母と子」を制作し、聖大十字シルベストロ大騎士勲章を受けるなどしています。とにかくマルチなアーティストさんだったのです。そんな方が作った鳥居が山の中に2つもあるのです。私が初めて堂本印象美術館を訪れたときは「京都の岡本太郎記念館だ」と思いました。ただ、岡本さんよりは全国的な知名度は低いかも知れません。初期の頃には深草に関する風景をいくつか手がけていて、深草には何かしらのインスピレーションを感じていたのでしょう。あるいは彼の原点だったのかも知れません。伏見稲荷も神秘的ですが、この山もとても神秘的でした☆ただ、蚊がめちゃめちゃ多かった…でも不思議と刺されなかった。
│-│-│2019/05/19(日) 22:00│
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