アラカルト

人の一生とは

いよいよ9月。もう暑いのはいやだなぁ。今朝も変な夢を見ました。地域はわかりませんが、かなり大きな空港に付属したホテルみたいな所。グランドスタッフをしていました。夢を見る度に職業が変わります。グランドスタッフを体験したこともなければ、エアポートで働こうと思ったこともありませんが、当たり前のように仕事をしている自分がいます。たまにホテルや百貨店などで立っていると従業員に間違えられることはありますが。とにかく大量の荷物を管理していて、それをエレベーターで降ろそうとするのですが、なかなかエレベーターが来ないというかいろいろトラブルなどもあって、結局荷物を降ろせないまま目が覚めます。これって、何か「背負っているものを降ろしなさい」という暗示なのでしょうか。徳川家康の人生訓に、「人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くがごとし…」がありますが、個人的には荷物は少ない方が好きですし、あえて重いものを持とうとは思いません。ただ、立場上ものすごいストレスは抱えています。モノは結構断捨離しているので、仕事の断捨離を進めようかな。そろそろ研究テーマそのものを見直そうとは思っています。研究室も片付けないとなぁ。今日は家でぐうたらしていたのですが、ちょっと気になって本圀寺さんに行ってきました。大岩のことをわかる範囲で早めに確認しておきたかったのです。やはり、お寺ができる前からそこに存在していたようで、地名(御陵大岩町)の由来にもなった岩だとのことでした。面白いことに、昔は祠がなかったのですが、前の貫主さんの時代に、霊感の強い方々から祠を作るよう何度か要請されて作ったということ。今は「大岩尊神(おおいわそんじん)」としてお祀りしているそうです。また、霊力の強い関係者の方数名に「岩から強いエネルギーを感じる」と言われたり、また地域のある方からは「山の頂上に大理石の立派なお社が見える」(実際にはありませんが…)と言われるなど、不思議なことも多々あるようでした。ま、報告書にはそんなこと書けませんが…。ただ、寺務所の方もまだ来られて6年目だそうで、裏山の神奈備山が鏡山(神山)だということはご存じなく、岩屋神社との関係もまったく知らない様子でした。とにかく、偶然が重なり、これほどの大きな岩がとくに意識されることなく1300年もそこあったわけです。ほぼ関係者全員にインタビューは終わり、私なりに「上岩屋大明神はこの場所である」「この大岩は鏡岩である」「天智天皇陵の場所には本来の鏡池があった」との結論に至っています。おそらく、天智天皇陵(天智天皇社=上岩屋大明神)と鏡山(神山)・鏡石・鏡池の関係は、京都でいえば上賀茂神社と神山の関係と同じくらいの聖域空間と考えられます。つまり神社のあった場所に天皇陵を作っちゃったのです。すごいことしますね。他に同じ例はあるのかなぁ。古墳ではないですが、秀吉は生國魂神社があった所に大阪城を作っていますけど。そろそろ簡単な記録は作らないといけないなぁ。今日のお昼はロビンさんで夏野菜のドリアでした☆

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│-│-│2019/09/01(日) 22:01

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