アラカルト

徳島の神秘

今日も良い秋晴れとなりましたね☆でも、明日はまた雨のようです。◆さて、またまた徳島の続きです。徳島は本当に凄いところだらけですが、その中でもとくに神秘的だったのが「阿波国一宮・天石門別八倉比売神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)」です。名前が長い。天石門は、天の岩戸のことです。漢字だけ見ているとよく分かりません。天の岩戸を別けるというは、恐らく天の岩戸のような場所を切り開くという意味と私は捉えています。また、八倉比売とは祭神である大日靈女命(おおひるめのみこと)のことであり、別名を天照大神と言います。つまり、天の岩戸と天照大神に関係する神社ということになります。場所は阿波史跡公園というところにあって、近くにある徳島市立考古資料館で事前勉強してから参拝しました。神社のある杉尾山そのものが神体山になっています。創建は紀元前に遡るとされる古社で、元々は近くにある気延山の山頂に祀られていたそうです。とにかくメチャメチャ古い神社です。気延山中には200余りの古墳群があり、境内には最大級の前方後円墳があります。その前方部には拝殿・本殿が作られ、後円部に奥の院があります。奥の院には五芒星を思わせる五角形の祭壇が作られていて、まだこの古墳は発掘されていないそうです。一説には天照大神を卑弥呼と同一視し、この古墳を卑弥呼の墓とする考えもあるようですが、ちょっと無理がある感じがします。しかし、記紀ができる以前、この地には相当強大な政治的中心であった可能性があります。神社に伝わる『天石門別八倉比賣大神御本記』によれば、天照大神の葬儀を表したとされる記述もあります。ただ、この書は偽書とされているようですが、サイトなどで読む限り記紀より古い記述なのではないかとも読み取れます。不都合な真実は皆嘘にしたかったのでしょうか。よく分かりませんが、天照大神が高天原からここに天下り、天の岩戸のような場所を別け開き、最後ここに落ち着いたのかも知れません。基本的に日本の神の多くは、ホツマツタヱのように、かなりの部分実在の人物であったと私は考えるようになってきています。恐らく弥生時代になって、それまで崇拝していた山や岩、川、樹などに尊い人の名を付していったのだろうと思えて仕方ありません。外来信仰との関係でそうなっていったように思われます。まぁ、実際その時代にタイムスリップしないと本当のところは分かりませんが、神武伝承や徐福伝承も含め、だんだんとその実在性が明らかになりつつあります。趣味のライフワークとしてぼちぼちとやっていければと思います。とにかくここは縄文、弥生、古墳と続くかなり古い信仰が感じられる貴重な空間です。でも、とっても行きにくい場所なので、訪れる人はほとんどおりませんでした。四国は八十八ヶ所が有名ですが、お寺よりも神社の方が古い文化を知れて面白い。でも、空海はその文化を消したかったのかなぁ。道も狭く、やっぱり知らない土地でフィールドワークするにはジムニーくらいの車がいいです。◆帰りに鳴門でどら焼きを買って、運転しながらパクつきました☆

1.JPG
2.JPG

3.JPG

4.JPG
│-│-│2019/10/28(月) 23:22

page top