アラカルト

水の神は蛇の神

人に会わなくてもいろんな事が起こり、対応していかなければなりません。いままでとは違った環境や課題が生じるので、余計にストレスがかかりますが、適応していくしかないのでしょう。また、完全に元にもどることもないようにも思えます。今日も京都の感染者は0人で、5日連続0人が続いています。このまま収まることを祈ります。◆いつもご祈願に行くのは巨岩なのですが、その山道の途中に小さな滝があります。ここにもしめ縄が貼られていて神聖なる場所だというのが分かります。岩のご神体も重要ですが、人が生命を維持するのに重要な「水」というのは古来より神聖視されてきました。毎日ここに来ると思うのですが、どんな災害があってもここには豊富な水がありますので、水に困ることはありません。水道がない時代では、それだけでも重要だったはずです。また、水はあらゆる汚れを清浄にするという側面があり、見た目の汚れだけでなく、心の汚れも落とします。そこで心も体も生まれ変わるのです。また、滝は白く長いため「白蛇」と習合されます。蛇は脱皮をすることから、生まれ変わりという視点も習合されます。だから「白蛇」は、まだ仏教と神道が成立するずっと前の重要な神様だったのです。でも、現在はいろんな宗教が入ってきたことによって、そのことが忘れられています。それで思い出すのですが、奈良の東吉野村伊豆尾という、ほんま山の奥に光蔵寺というお寺があるんですが、そこに母の妹さんが嫁いでいます。いまから30年以上も前だったと思いますが、一度だけ遊びに行ったことがあります。1泊だけしたのですが、夜の団らん時にお寺のお婆さまから「蛇は神様じゃ」「とくに白蛇は粗末にしたらあかん」と強く言われたのを今でも覚えています。時代が変わろうとも、日本の山奥にまだ伝承として息づいていたわけです。そのお婆さまも今から15年ほど前にお亡くなりになり、お葬式の時に伺ったきりです。ともかく、この水の神の前では毎日一礼し、禊ぎをしたつもりになって岩に向かうようにしています。一円玉はまだ張り付いていました☆

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│-│-│2020/05/19(火) 21:48

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