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アラカルト出雲の謎・出雲大社は別の神社だった今週は明日からかなり冷えるらしいですね。気温の変化に気をつけたいと思います。◆さて、昨日の亀岡の続きです。前から行ってみたかったところが出雲大神宮です。御影山という神奈備山の麓にあります。想像はしていましたが、予想以上に古さを感じます(看板の1万年は少し大げさなように思いますが、神奈備信仰は間違いなく縄文時代からでしょう。ここの磐座は少し疑問が残ります)。大国主が祭神ではありますが、古くは国常立尊(くにとこたちのみこと)が最も奥に祀られています。開闢の神です。ちなみに、出雲というと島根の出雲大社が有名ですが、元は違う名前だったというのをご存じでしょうか。本来は「杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)」といい、出雲大社という名称は明治になってからなんです。なので、亀岡の出雲大神宮(江戸期までは出雲神社と称していました)の方が名称としてははるかに古い。だから、亀岡は「元出雲」とも呼ばれています。亀岡盆地はもともとは湖だった可能性が高く、多くの湖伝承が残ります。そのことから京都盆地や山科盆地とは異なり、霧が多く発生するのだと私は考えています。霧や雲が幾重にも重なり合う姿が「出雲」あるいは「八雲」と呼ばれたのだと想像し、亀岡の地はまさに出雲の地といえます。そうと考えると、出雲の勢力範囲はかなり広い地域であり、南部からはじまったったのかも知れません。面白いことに、神社のパンフレットには偽書とされる『宮下文書(富士文書)』の記述が堂々と紹介されていました。古くは国常立尊の天孫族が切り開き、あとから大国主の勢力が土地改良をしたと考えると筋が通ります。であるならば、この地は天孫降臨の一つの重要な拠点だったと類推することができます。湖を開拓した関連でいうと、最近NHKのブラタモリで連続して湯布院と日田が取り上げられていましたが、実はあの地域も亀岡と同じく洪水に悩まされる地域で、調べてみたらやはり両方ともに湖伝承が残されていました(番組では完全にスルーでしたが…最近、地形を見るとピピッときます)。九州というと、天孫降臨の地は高千穂が想像されますが、私は地理的・地形的・地名的・歴史的・戦略的にこの日田も天孫降臨に深く関わっていたのではないかと考えています。このことはいつかどこかで書きたいと思います。亀岡だけでも調べたいことが山ほどありますが、前に来たのは高大連携の関係で17年も前やし。時間がほしいなぁ。
│-│-│2021/02/15(月) 21:15│
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