アラカルト

山科に残る義経の史跡

青天のこどもの日。ニュースなどでは子どもの数がどんどん減っているという話。そもそも、この数十年が異常な人口変化だったと考えれば、今後の人口減は避けがたい流れだと私は考えます。むしろ急激に減ることへの対策が必要なのでしょう。人口が減ってもまちはなくなりません。だってずっと人口が少ない時代からあるんですから。行政が成り立つかは別ですが。むしろ、これからは少ない人口でどう幸せに生きるかを考えることが大事なのではないでしょうか。良い場所に人は集まり、悪い場所は人が減ります。ちなみに推計ではありますが、奈良時代の日本の人口は約450万人、平安時代は約550万、鎌倉時代は約750万人、室町時代は約800万人、江戸時代の初期は約1,320万人、明治維新では約3,000万人なのです。国外に目を向けると、お隣の韓国の人口は約5,200万人、イギリスは約6,700万人、フランスも約6,700万人、イタリアはちょっと少なく約6,000万人、ドイツですら約8,300万人です。国土が狭く資源の少ない国でよく1億2,000万人までいったと思うのです。◆今日はほとんど何もせず、比較的家でゆっくりしました。お昼にちょっと人混みを避けて近場をお散歩。今年は大河ドラマで鎌倉時代が取り上げられていますが、御陵には源義経ゆかりの史跡があります。ただ、私有地なので実は一度も見たことがなく、とりあえず近くまで行ってみることにしました。昔、源義経が奥州平泉へ下る途中、まず蹴上げの地で盗賊9名を切り殺し(蹴上げの地名の由来にもなり、疏水脇に史跡が残る)、その血に染まった刀を御陵の池で洗ったとされています。その池を血洗池といい、そのことから血洗町という町名があります。初めて町名を見たときはギョッとしましたが、由来を聞いて納得でした。京都薬科大学のグランドがある場所なのですが、そこまで行くと管理人の方がおられたので、ちょいと見せて欲しいと頼んだら普通に見せてもらえましたし、写真もOKでした。ただ、史跡は薬草園の中なので遠くからしか見えませんし、池も塀の向こう側で見えません(写真が酷くて申し訳ないですが、中央の竹柵の奥です)。手前の義経腰掛石と呼ばれる石が見えるだけ。伝承には諸説あるようですし、蹴上げから結構距離があること、江戸期の東海道とは道筋が違うなどの疑問はありますが、地名にまでなるということから当時としては結構大きな出来事だったのだと推測します。◆お昼は最初グリルやまもとさんに行こうとしたのですが、満席で入れなかったので、すぐ近くにある船越さんでピラフランチと珈琲をいただきました。このお店は、創業が1978年ですから今年で44年となる老舗です。山科駅近くにある支店の方が大通りに面しているので、今ではそっちの方が有名かも知れません。かなり長居をさせていただきました☆

1.JPG
2.JPG

3.JPG

4.JPG
│-│-│2022/05/05(木) 22:47

page top