アラカルト

善光寺の秘密

11月に入ったので、ようやく喪中葉書の制作にとりかかる。なんとか今日中に出し終えました。SNSがより普及すると年賀状も喪中葉書もなくなってしまうのだろうか。◆夜にブラタモリを視聴。善光寺がテーマでした。やっぱりNHKなので、百済や守屋柱のことにはまったく触れず。善光寺を創建した本田善光さんという人は飯田市の出身です。おそらくこの方は当時馬の飼育で渡来した百済人である可能性が高い。蘇我氏との争いで物部氏が難波の堀江に捨てたとされる百済由来の阿弥陀如来像を見つけたのが上洛中だった善光さん。ほっておけなかったのでしょう。だから、元善光寺というのは飯田市にあります。その後現在地に移転して今日に至りますが、その間多くの火災にあい1707年に少し場所を移して本殿を作り直しています。その際、本殿を支える108本のうちの一つを角柱にし、それを守屋柱と呼んでいるようです(非公開)。この柱の下には物部守屋さんの首が埋まっているという噂すらあります。なぜ、廃仏派であった守屋さんがここに祀られるのか。おそらく、守屋さんの怨念をここに封じ込めることによって禍(火災)を防いでいると考えられます。似たようなことが四天王寺でも行われています。表だって公表はされていませんが、善光寺も四天王寺も怨霊を恐れて丁寧に祀っているのだと考えられるのです。私は怨霊という目に見えない力は少なからずあるのではないかと考えています。

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│-│-│2022/11/12(土) 20:55

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