アラカルト

学芸員はなぜ「狭き門」なのか?

京都の日中の最高気温は38.9度だったそう。でも、数日前よりは熱のこもりがなく、エアコンは使用しないで過ごせました。ただ、上は肌着で首に濡れタオル巻いているので、人に見せられませんが…エアコンに頼らず暑さを凌ぐ研究を身をもって行っています。無理はしないけど。夕立があったので、今夜は少しまし。◆ところで、最近写真の本を買いました。桑名市博物館の杉本さんという方が書いた学芸員入門的なもの。キャッチに「大学では授けてくれない」とあるので、その1点のみで購入。中身を確認したら、特別な記載はなく一般的な内容をこの人の経験値で書いてあるのみ。恐らく、出版者のアイデアだったのかも知れません。大学関係者から顰蹙買いそうやもんね。ただ、全体的にくだけた感じで書かれているので読みやすく、入門書としてはいいのではないでしょうか。まぁ、この手の本は山ほどありますが…。問題は、「なぜ狭き門」なのかということ。要はこの資格は圧倒的に需要がないわけです。では、なぜ需要がないのかというと、大きく2つあります。?希望者に対して施設あるいはポストが少ない点、?社会全体として文化・芸術にお金をかけない風土がある点、だと私は考えています。いまの日本の経済状況の中で、文化にお金をかけるなら教育や福祉、子育てや産業に回せと考える人は多い。とくに今の政治家に文化人はほとんどいないわけで、文化庁の予算が減らされないだけでも有り難いわけです(使い道の問題はありますが…)。ただ、欧米などと比較すると、日本はあり得ないほどの文化後進国です。ですから、ポストがどんどん減るわけです。文化を政策的に発展させる必要性を感じるのと、需要を生み出す学芸員の業務を作り出すしかありません。人が来すぎて困るくらいの需要を作らないといけません。ただ、そんなことをやろうとしたら通常業務ができなくなるので、どんどん狭くなるわけです。個人的には「狭き門のくぐり方」ではなく、「狭き門の広げ方」を常に考えているのかも知れません。日本には茶の湯の文化があり、道具や掛け軸、お花や菓子に至るまで、かつては総合芸術的な知識を有していることが一つのステイタスでした。それが、今や柱も畳もない家に住み、紙コップやペットボトルに疑問を持たず、本を読まずにスマホでゲームか漫画を見たり、面白おかしく振る舞うYoutuberがもてはやされる時代ですから、そうした感覚の人に文化・芸術的素養などは期待できません。本人だけでなく、親にも問題があったりします。ただ、関西には素晴らしい施設が沢山あるし知識人がおりますので、あきらめずに何らかのアプローチをしたいと思っています。また、現代のスタイルにうまく合わせていくことも大事でしょうか。そういう意味で、滋賀県で行っているアウトリーチ事業は一つのモデルだと考え、いま本の制作を進めています。今年か今年度中には発刊したい。

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│-│-│2023/07/26(水) 20:58

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