アラカルト

神になったお役人

写真を整理していたら、先日富士の須走に行った折に撮影したものが見つかりました。移動中、たまたま遭遇した伊奈半左衛門忠順さんと彼を祀る伊奈神社です。話は江戸時代の宝永4年(1707年)11月23日。その日、富士山が大噴火を起こし、それが半月も続きます。とくに富士東麓の御厨(みくりや)地方(小山町、御殿場市、裾野市の一部)は壊滅状態となり、ほぼ捨てられた場所となります。しかし、地元民の再三の支援要求があり、幕府から関東郡代伊奈忠順さんが派遣され、彼は寝食を忘れて奮闘するも復興は困難を極め、餓死者が続出します。彼はこの状況を放っておくことはできず、掟を破って幕府の米蔵を独断で開き、窮民に分配してしまいます。当然、そのことは幕府に知られることとなり、彼は役を解任され、しかも翌年の1712年に急死します(享年40歳)。一説には、責任を取って切腹したとも伝わります。この地域の方は、彼の恩義を忘れずに後世に伝えるべく、慶応3年(1867)にこの神社の前身となる祠を建立したとのことです。この神社に来るまでそのことをまったく知らず、災害復旧の過酷さを知るとともに、当時立派な代官さんがいたことに感謝の念でいっぱいになりました。今後、いつどこで災害が起きるかわかりません、日頃の備えをしっかり行っておくとともに、いざという時の対応方法も考えておく必要があるでしょう。

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│-│-│2023/08/23(水) 13:22

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