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アラカルト「電車嫌いのクルマ好き」の理由5月は竹が成長するとともに、枯れた葉が大量に落ちてきます。雨で濡れると掃き掃除が難しいですが、工夫して綺麗にするのが最近の朝の日課です。◆昨日は成城の事を書きましたが、実は本籍や学校は成城でも住まいは神奈川県相模原市にありました(生まれも相模原市民病院です)。相模原市という所は、当時何もない原野を開発した新興住宅地で、そこに住んでいました。家の後ろに大きな森があって、よくその森でクワガタを捕ったりして遊んだ記憶があります。小学校時代は親の方針で父の仕事場である世田谷区成城の明正小学校に「越境」という形で通学をしていたんです。その頃は越境の意味もよくわからず、指示されるままに通っていたわけです。公立小学校の場合、通常決められた通学地域があるのですが、特別な理由によりその地域外からの通学を認められることを俗に「越境」といいます。両親がどのような理由で越境をさせたのかは一度も聞いたことはありませんが、恐らく相模原の教育環境が当時あまりよくなかったからだと思われます。つまり、小学生の6年間、一般のビジネスマンと一緒に満員電車で約1時間かけて通学をしていたんです。しかも、仲のよい友達以外に越境通学をしていることを知られないために、それを隠したまま通い続けていました。だから、なんとなく後ろめたい小学生時代だったんです。中学校は同じ世田谷区内の成城中学校に入学できたため、一緒に通学できる友達ができ、なんと安心できたことか。何より、毎日混雑している電車に乗るため、電車に対して特別な思いをもつことはなくなっていました。電車が嫌いというよりは、満員の電車に乗ることが嫌いといった方が正確かも知れません。小さい子どもがあの人混みに同じように押し込まれるわけなので、たまったものではありません。当然ランドセルなどは邪魔になるので使えません。確か入学時にランドセルを買ってもらった記憶はあるんですが、使った記憶はありません。いつもは肩から斜めにかける白いショルダーバッグを使い、それを体の前側に抱えてもつような形でじっと過ごしていました。電車には罪はありませんが、通学が本当に苦痛であったため、今でも電車を見るとその思いが募ります。ですから、当時たまに開催される社会科見学等で友達が「電車に乗れるのが楽しみ☆」とか「電車で酔ったらどうしよう…」とかいって騒いでいるのを聞くと、「かわいいなぁ」と思ったものです。つまり、自分にとって電車とは日常的な乗り物となっていたため、さして珍しさがあったわけでもなく、憧れることもありませんでした。むしろ、普段乗ることができないクルマや飛行機の方に関心があありました。ただ、電車の全てが嫌いだったわけでもなく、愛着のある電車も少なからずありました。とくに小田急線で昔使っていた「9000形」という電車は一番好きでした。当時、小田急線の車両カラーは白地に青いラインが入っているものでした。その色に懐かしさを感じますし、中でも9000形は正面の窓の形が変形の四角形をしていて、そのスタイリッシュなデザインは見ていて飽きませんでした。また、まず乗ることができなかった「ロマンスカー」は特別な感情があります。調べてみると、小田急線海老名駅近くに「ロマンスカーミュージアム」ができたようです。中でも、「NSE(3100形)」というのが私の中では一番身近な車種でした(写真はミュージアムのHPより)。小学校1年生から京都に来るまで、ほんまに「通勤地獄」が長く長く続いたので、京都では電車通勤だけはやらないと決めていました。今は、家から職場までクルマで15分くらいですから、それだけでも幸せを感じます。一方、家から片道2時間かけて通ってくる学生も結構いたりするので、頭が下がります。
ロマンスカーミュージアム https://www.odakyu.jp/romancecarmuseum/ ![]() │-│-│2026/05/22(金) 08:59│
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