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アラカルト共生社会を実現するには今日はほんとに気持ちの良い陽気でした。こんな穏やかな日が続くといいのですが。◆今朝も変な夢を見ました。またしても、近未来です。場所は特定できません。日本であることは間違いありません。私はバスの運転手。普通のバスではなく、自動運転のバス。ただ、完全自動運転ではなく、有人の監視が必要なタイプ。おそらくレベル3くらいの段階でしょう。ほぼほぼ車が勝手に操作してくれるのであまり仕事がなく、そのため眠くなって仕方ないのです。本当は寝てはいけないのでしょうが、やることがないのでついウトウトしてしまいます。でも、お客さんや会社に怒られるわけでもなく、皆そんなものだという認識で利用しています。こんな夢を見るということは、体が疲れているということでしょうか。◆さて、今日は栗東市役所の竹山さんから御著書(共著者)『共生の思想と作法』(法律文化社)を頂戴いたしました。ありがとうございます。この本の特徴は、中にも書かれていますが、理論研究と実践研究をバランス良く入れ込んだところにあるとのことです。これまでそうした文献があまりなかったようですので、そういう意味では貴重な文献の一つとなるかと思います。ただ、共生を考える基本的な枠組みについて、何度も読み直すんですが「スッ」と頭に入ってこない点が少し気になりました。共生というと、うちの大学の教学理念が「自立・共生・臨床の知」です。なぜ共生があるかというと、2005年に共学にしてから、女性だけでなく男性が入ってくることでの共生が最も大きな点かと思います。もちろん、それ以外の共生もありますが、当時はその点は重かったです。今となっては笑い話ですが。ただ、実社会の中で、男性と女性の共生が本当に進んでいるかといえば、日本はまだまだ男性優位の社会といえます。一方、長い日本の歴史を見るとそうではありません。古事記、日本書紀の記述を読むと、大和朝廷が誕生する以前の日本には女性のリーダーが数多くいたことが覗えます。しかし、神武天皇は彼女らを皆殺してしまいます。その後は、男系天皇を中心として今日まで続きます。したがって、弥生もしくは古墳時代頃を境に日本は女系リーダーが少なくなるわけです。縄文時代には大きな戦争の痕跡はほとんどないとされていますが、大陸文化が入ってきてから戦が絶えなくなります。あの卑弥呼も、国の混乱を沈めるために表舞台に立つわけです。思うに、女性リーダーを立てた方が共生が進み、対立が少なくなるのではないでしょうか。一度、天皇も総理大臣も女性にしてみたらと思ったりします。それはとにかくとして、私も20年近く地域政策を担ってきましたが、何が困るかというと、とにかくどこに行っても地域のまとまりがないことです。お互いがお互いの足の引っ張り合いをしている。ほんとに悲しい気持ちになりますが、それを少しでも理解していただける人とどうにかするというのが私の仕事だったように思います。「人間というのはなかなか理解し会えない(共生できない)」というのが、率直な印象です。だからこそ、そこを繋ぐ人材(コーディネーター)や中間支援組織というのがほんとに重要になると考えています。
│-│-│2020/03/02(月) 23:07│
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