アラカルト

「本圀寺の変」と光秀

今日は雨が降ったり晴れたりが繰り返す変な天気でした。京都や滋賀でも新たな感染者の報告があり、いよいよ身近に迫ってきた感じです。来週の卒業式は中止になりましたが、学位記授与式は時間を30分に短縮して行う検討を行っています。郵送に切り替える大学も多い中、どうなるのでしょうか。◆ようやくまとまった時間がとれるようになりましたので、執筆活動を始めます。昨年、本圀寺さんから頼まれていた、境内にある磐座についての原稿を仕上げます。だいぶ時間が経っているので思い出しながら書きましたが、「護山會報」というかなりかしこまった冊子なので掲載していただけるかは不明です。ところで、本圀寺は歴史的に様々な人物と関わりますが、中でも大河ドラマの明智光秀とは「本圀寺の変」で深く関わります。「本能寺の変」とはまったく違う事件です。時は永禄12(1569)年1月5日、京都本圀寺(現在とは別の場所)にいた室町幕府15代将軍足利義昭を三好三人衆らが襲撃した事件で、この時に光秀は将軍を守り功を立てるのです。戦国時代の人は、それこそ毎日が「必死」だったわけです。

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│-│-│2020/03/05(木) 22:10

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