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アラカルト成らぬは人の為さぬなりけいつもは、週に2,3回、仕事終わりにジムに行くのですが、この時期はさすがに控えます。もともと体育会系の人間ですので、じっとしているのが実は苦手。夜にスーパーに行ったら、今日は棚の3分の1くらいはトイレットペーパーとティッシュがおいてありましたが、それでもみんなバカバカ買っていきます。有事の際の生存本能(この場合、「棚が空」という危機意識=正常性バイアスが崩壊した状態)というは、ある意味コントロール不能というか冷静な判断を阻止するのかも知れません。逆をいえば、この心理意識を応用すれば、効率の良い避難誘導手法が開発できるのかも知れません。◆ところで、今日から大学のHPがリニューアルされました。新しいタグライン(キャッチコピーみたいなもの)が、発表されました。「変化を楽しむ人であれ」。まぁ、なんというか、これからも変化しますよ〜みたいな宣言でしょうか。うちの大学は変わりすぎなんですけどね。確かにこの少子化の時代、大学の経営とはほんとに難しいと思います。変化ということであれば、私は生きるために何でもしてきました。おそらく私だけですよ、新学科の中で「文学部出身」というのは。それがどれだけ大変なことか、言葉ではいいつくせません。でも、それでいいと思っています。自分自身をカメレオンのように変化させてきたので、他にはないものの見方ができると信じています。楽しめる余裕があったかと問われれば、まったく「ない」。むしろ必死で変化に対応するよう努力してきただけです。ただ、そのおかげで自分の知らない一面を知ることができたのは面白いし、自分の強さは「結果を残せるところ」だと思っています。どんなに理屈を並べても結果がでなければ意味はないし、役に立たないのです。基本理屈だけの人は信用しません。腐るほど見てきましたし、そういう人ほど動かない。なので、泥臭くとも結果を残すことにこだわっています。私のいう「必死」というは、「死ぬ覚悟をもってことにあたる」ということです。すべてにおいて全身全霊で取り組みます。人が行きたくないところにも平気で突撃していく覚悟をもっています。いいにくいこともあえていいます。とくに地域政策においては、そのレベルでないと「変化はしない」と考えています。変わらないのは、その「覚悟が足りない」のです。尊敬する上杉鷹山さんの言葉に「成らぬは人の為さぬなりけ(成果が得られないのはその人の努力が足りないからである)」がありますが、その通りです。不平不満ばかり並べて努力や行動をしなければ、当然結果は得られません。そうはいいつつも、体は一つしかないのでできることは限られますし、最近は少しずつ働き方改革をしています。楽しむように働くではなく、楽しいと思える仕事を選ぶようにしたいと考えています。
│-│-│2020/03/04(水) 23:07│
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