アラカルト

薬師寺鎮守 神仏混淆の未来

ようやくアベノマスクが届きました。でも、これ付けている人見たことがないので、ちょっと付けるのが恥ずかしい感じがします。昔はみんなこのタイプしかなかったのに、スタイルというのはあっという間に変わってしまうものですね。◆さて、西の京の続きです。薬師寺は全国的にも有名ですが、実は薬師寺の鎮守さまがあって、休ヶ岡(やすがおか)八幡宮といいます。お寺に隣接するところにあったのに、今まで気がつきませんでした。神社を挟むような形で新しい駐車場ができたので、初めてお参り。最初にこちらに参拝してからお寺の方に行くのが作法の様です。すみません、私は後に参拝しました。薬師寺さんがこの神社を管理しているとのこと。昔の神仏混淆の名残です。日本では、明治に入って神仏分離政策が展開されますが、それまではずっと一体で信仰されてきました。最近、香川県琴平町の金刀比羅宮が神社本庁を離脱する手続に入ったようですが、それぞれの権威が見直され、そろそろ神仏習合の時代になっていくのもいいのではと思ったりしました。ちなみに、修験道は明治から完全に御法度になりますが、復活に命をかけたのが修験者・林 実利(はやしじっかが:1843〜1884年)という人物です。岐阜・下呂の人ですが、ものすごい霊験があったようです。禁止されても、吉野などで隠れて修行を続け、最後は那智の瀧の頂から座禅を組んだまま滝壺に飛び降り入定します。信仰が破壊されたことへの抗議の意味があったのでしょう。入定して数日後に滝壺より引き上げられますが、死してなお座禅姿のままであったとのことです。ほとんど知られていない人ですが、ものすごい精神の持ち主です。修験道が復活したのは終戦後の1947年、日本国憲法が施行され「信教の自由」により認められ、今日に至ります。

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│-│-│2020/06/15(月) 23:05

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