アラカルト

扇の霊力

ようやく大雨も一段落という所でしょうか、ふと空を見上げたら夕焼けが綺麗でした☆◆今日は7月14日です。和歌山の熊野那智大社では「扇祭り(おうぎまつり)」が、熊野速玉大社では「扇立祭(おうぎたてまつり)が行われる日です。しかし、今年は新型コロナの影響により、どちらも基本中止となり一部の神事が関係者のみで斎行されたようです。那智の方は以前は「火祭り」と称していたこともありますが、最近は本来の「扇祭り」に名称を戻しています。以前から「なぜ扇なのか?」が疑問でした。扇の風で厄を祓うと考えていましたが、最近吉野裕子さんの『山の神』を読んで目からウロコでした。ちなみにこの本、30年前に書かれたものですが、講談社学術文庫から復刻されています。吉野さんは、専業主婦から学び直し、在野の民俗学者として全集を作るまで研究を続けられた方です。もともと、日本舞踊を習っていたことから扇や民俗学に関心をもち、1970年著書『扇』を刊行しています。その本は読んでいませんが、その成果がこの『山の神』に引き継がれています。前置きが長くなりましたが、彼女が全国の事例を調査した結果、日本人の祖霊は山の神であり、山の神は蛇の神であったとしています。そして、蛇の象徴として最も神聖視された植物が蒲葵(びろう=シュロの一種で茎が細長く蛇に似ているところから)であり、その蒲葵の葉が神事と深く関わりますが、数に限りがあるのでその代用として形を模した扇が使われるようになったとのことです。私もまったく同感です。民俗学は文献史学とことなり、現象から論理づける学問なので批判されることも多いですが、ここの考え方については恐らく間違いないと思われます。その他にも、ほんとに多様な展開があるのですが、長くなりすぎるのでまた機会があるときに触れてみたいと思います。この時期に扇を奉るのは、厄を祓うという意味以上に「人が生まれ変わる」ということを象徴していると考えられます。しかし、大陸から様々な宗教が入ってくることで蛇神が隠されてしまい、今はその由来が曖昧になってしまっていて、とても残念に思います。昔の人は「山は動物のように生きていた」と考えており、そこから人の生命も誕生するとも考えていたのです。古代の日本人は太陽そのものも山が産んでいると考えていたようです。扇を持つというのは茶道でも能などでも特別な意味がありますが、扇そのもが山の神の霊力を保持することに繋がっているのです。◆この間、四国に行った折、お土産に買った鳴門の海苔。今日開けていただきました☆いろんな種類があったんですが、今回は鯛味をチョイスしました。

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│-│-│2020/07/14(火) 21:24

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