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アラカルト全てを失うと、本当が見える暑さが和らいできたと思ったら、今度は台風の勢力が強くなってきました。今後も警戒が続きますね。職場で仕事を終えたすぐ後に落雷による停電があったようで、危ないところでした。◆すみません、また広島関連です。実は広島で一番行きたかったのが「マツダミュージアム」でした。マツダは、スズキと同じく今年で創業100周年を迎え、ミュージアムもそれに向けてリニューアル工事を行い7月1日にオープンする予定でした。しかし、新型コロナウイルス感染防止の観点から、リニューアルオープンを10月以降へ延期することになったのです。前もって知ってはいましたが、残念です…。マツダは当初「東洋コルク工業株式会社」というコルクの会社からスタートします。創業から5年後の1925年に、火災により工場が全焼するという事故が起きます。このことが契機となって、2代目社長の松田重次郎氏の得意分野である機械工業で再起を目指し、社名も1927年東洋工業株式会社に変更してしまいます。ただコルク部門は生き残り、1944年に東洋工業から「東洋コルク株式会社」として独立し、現在は主に発泡スチロール製品を作っているとのこと。そして1945年8月6日午前8時15分、原子爆弾により広島は焼け野原になってしまいますが、幸いにも本社と工場は爆心地から離れていたため、大きな被害はなかったようです。その後物資不足の中、資材をなんとか調達し、年末には10台の三輪トラックを完成させます。焼け野原を走るマツダの三輪トラックは、まさに「復興の象徴」だったようです。その後、いろいろ経営的な問題もありましたが、現在の地位を確立していきます。やはり、マツダの転機は1925年の工場火災だったと思います。全てを失ったとき、それは非常につらい状況であっとは思いますが、逆に本当にやりたかったことが見えてきたのかも知れません。自分の家や仕事場が全焼したら何するかなぁ。たぶん似たような事をするでしょう。写真はマツダ100周年を特集された雑誌driverの7月号です。
│-│-│2020/09/04(金) 21:58│
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