アラカルト

桝一市村酒造場の『白金』

なんとか今週も無事終了。体力的にはしんどいですが、今年はいつもより偏頭痛が少なく、そっち系の体調不良がないのが有り難いです。おそらく、みんなマスクをしているので、変なウイルスからは逃れられているのでしょう、きっと。◆私は体質的にお酒があまり強くありませんが、この度お酒のボトルを買いました。個人用ではなく研究用。長野・小布施にある桝一市村酒造場で、セーラ・マリ・カミングスさんが、デザイナーの原研哉氏に依頼して製作したもの。学生のある一言から思い出し、まだ売っているうちに入手しておきたかったのです。地域政策系の方ならご存じだとは思います。実際に手に取るのははじめて。およそ日本酒のボトルらしくないデザインですが、とても美しいものだと思っています。お値段も相当します。酒音痴の私にとっても、スッと飲めてしまうほど透明感があり、日本酒とは思えないほど上品な味です。彼女はその後独立され、文化事業を中心に長野市内で活動されているようですが、6、7年前に一度だけ京都府関連の事業でお会いしたことがあります。その時はお腹が大きかったので、いまは子育てもされているのでしょう。調べてみたら、オリンピック・パラリンピックの文化事業の委員に名前が入っておりました。もともと、長野オリンピックのボランティアとして来られていたので、まさかそのまま日本に居着くことになるとは本人も夢にも思わなかったのでしょう。人生とは不思議なものです。外見からは想像できませんが、日本人以上に日本の伝統文化に関心をもたれていて、その想いがこのボトルに詰められています。ネットを調べていたら、原さんがボトルを製作した経緯についてエッセイを書かれていたので、そのまま引用しておきます。

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白をめぐる百話<〇六五:白金> (2016年7月5日 読売新聞)
原研哉(グラフィックデザイナー)

 鏡面のステンレスを用いて日本酒のボトルをデザインしたことがある。日本酒といっても先細りの瓶ではない小ぶりで細身のレンガを縦にことりと置いたくらいの存在感である。すらりとなで肩の瓶を鶴にたとえるなら、これは首を縮めて眠る梟(ふくろう)のよう。ボトルのかたちはやや角張った楕円の断面が、寸胴のまま直線的に立ちあがり、肩口でボルドーのワイン瓶のように丸まって、首は短く、ワイン瓶の三分の一ほどである。蓋を閉めると碁石のかたちをしたキャップが頭頂にちょこんと残る。全てが鏡面光沢で、胴にラベルも貼らない、細長い和紙の封緘紙(ふうかんし)が、碁石型のキャップの後ろから前に回り込むように貼られ、短い首に極細のネックラベルが横一文字にきりりとまかれてこれを固定する。
 封緘紙は手ちぎりといって、機械断ちのような鋭利な裁断面ではなく、毛羽だった縁を持つ。この小さな封緘紙に『白金』という文字が黒い活字で配されている。かたちや素材からいうと、日本酒の瓶の常識を大きく逸脱しているが、空虚さをもって存在をなすという意味では、日本の酒として定着させた手応えを感じている。
 この酒は、長野の小布施堂という栗菓子の老舗が、菓子とは別に営んでいる『桝一市村酒造場』という酒蔵の産である。生産量は少ないが良質の酒である。小布施堂は単なる菓子店や酒屋ではない。菓子工房や洋食レストラン、宿泊施設や甘味喫茶、バーや寄り付き料理店、メタセコイアの大木の生えた庭や、栗の木ブロックが敷き詰められた小径などが交錯する界隈、いわば小宇宙である。ここには葛飾北斎の立派な美術館まである。かつてここを主宰していた高井鴻山(こうざん)という人は、葛飾北斎のパトロンとしても知られた人で、北斎は江戸からこの地に来ては逗留し絵を描いたのだそうだ。昔は、屋敷も庭も煙管(きせる)のような日曜便も、才能のある職人や芸術家に腕を振るわせ作らせる『旦那文化』という習いが日本にはあり、美に目の利く豪商などがこれを担っていた。高井鴻山はまさにそういう人であったのだろう。
 こういう日本文化の坩堝(るつぼ)のような場の魅力を嗅ぎ当てて、かつてセーラ・マリ・カミングスという米国人が小布施堂に入り込み活躍していた。日本文化の良さは異国の目でよりよく見えることがあるが、セーラの目もまた、小布施堂の可能性を見ていた。『白金』はそんなセーラから依頼された日本酒のデザインである。
 今はもうセーラはこの地を去って、いない。しかし彼女の痕跡は桝一市村酒造場の壁一面に描かれた酒造風景の図に残っている。金髪碧眼の白人女性が『桝一』の法被を着て蔵人を指揮している。『ステンレスで酒瓶を』という依頼は彼女からのものだった。もう十五年以上前のことであるが、時を経て『白金』の輝きを反芻する。
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│-│-│2020/10/16(金) 21:39

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