アラカルト

現代に生かす武士の哲学

車載温度計で25度を記録。もう夏並の気温です。が、朝夕はまだまだ寒いので、気温差に気をつけたいですね。◆予想はしていましたが、再度の緊急事態宣言。人は欲望に弱いということです。感染経路がわかるレベルまで収束させないと、同じ繰り返しになるでしょう。◆さて、だいぶ前の話に戻りますが、山岡鉄舟さんがなぜあれほどの胆力を持てたのか、ずっと気になっています。そこで、見つけたのが彼の人生哲学というかルールです。以下のものですが、「修身二十則」と名付けられています。

一、嘘を言うべからず
一、君の御恩忘れるべからず
一、父母の御恩忘れるべからず
一、師の御恩忘れるべからず
一、人の御恩忘れるべからず
一、神仏ならびに長者を粗末にすべからず
一、幼者を侮るべからず
一、己に心よからず事 他人に求めるべからず
一、腹をたつるは道にあらず
一、何事も不幸を喜ぶべからず
一、力の及ぶ限りは善き方に尽くすべし
一、他を顧して自分の善ばかりするべからず
一、食する度に農業の艱難をおもうべし 草木土石にても粗末にすべからず
一、殊更に着物を飾りあるいはうわべをつくろうものは心濁りあるものと心得べし
一、礼儀をみだるべからず
一、何時何人に接するも客人に接するよう心得べし
一、己の知らざることは何人にてもならうべし
一、名利のため学問技芸すべからず
一、人にはすべて能不能あり、いちがいに人を捨て、あるいは笑うべからず
一、己の善行を誇り人に知らしむべからず すべて我心に努むるべし

このルールは、彼が15歳にして発願し、生涯守ったとされています。15歳ですよ!調べてみますと、生まれは江戸なのですが、父親が飛騨郡代となったため幼少期は岐阜県の飛騨高山で過ごします。そこで、弘法大師流入木道51世の岩佐一亭さんに「書」を学び、15歳にして52世を受け継いだようです。したがって、この時に自分に人としての掟を課したのでしょう。彼は武術にも長けていましたが、母親の先祖が鹿島の剣豪・塚原卜伝さんに繋がっていたようです。彼は禅にも入っていくわけですが、彼なりの武士道が確立される土台にこうした考え方があったということは注目すべきことです。一番最初に「嘘を言うべからず」とありますが、これは私も何十年も守っています。が、今の時代はあらゆるものがフェイクになりすぎているように思います。また、「殊更に着物を飾りあるいはうわべをつくろうものは心濁りあるものと心得べし」も面白い視点ですし、とくに現代に通じます。「人にはすべて能不能あり、いちがいに人を捨て、あるいは笑うべからず」というのは、教育者が持っているべき考え方かなと思います。人間にはそれぞれに価値があり、特定の能力が低いからといって笑ったり差別したりしてはいけません。彼は、幕末・維新の際に殉じた人々の魂を弔うため、自分で禅寺を建立するのですが、そのお寺に「全生庵((ぜんしょうあん)」という名前を付けています。この「全生」とは、人間として生まれたからには、その命を全うするようにとの願いを込めたものと考えられます。敵味方関係なく、みんな国を思う気持ちは一緒だったと述べています。こうした思想をもっていたからこそ、味方はもちろんのこと、敵からも信頼される人物となったのだろうと考えます。一度、全生庵に訪れてみたいです。静岡の清水には「鉄舟寺」というお寺がありますが、ここは4年前に家族と訪れています。ただ、その時はそこまで知識がなく、サッと見ただけになったのが悔やまれます。そこもまた行きたい。※写真の刀はおもちゃです。

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│-│-│2021/04/20(火) 22:56

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