アラカルト

邪馬台国への想い 〜唐古・鍵遺跡〜

陽気の関係かそれとも日頃の疲れが出たのかわかりませんが、この2日間は体が思うように動きませんでした。でも、今朝はスッキリ目覚めることができたので、日頃できない家の掃除等をしたいと思っています。◆聖地巡礼の帰りの話になりますが、どこかで食事をとりたいと思っていたら「道の駅 レスティ唐古・鍵」という施設があったので寄ることに。この施設はすぐ横の「唐古・鍵遺跡史跡公園」に隣接しており、ついでに遺跡も見学。この道は叔母がいた東吉野に行く際にたまに通る程度で、復元建物があるのは知っていましたが観るのは初めて。唐古・鍵遺跡は、奈良盆地のほぼ中央に位置する弥生時代の環濠集落跡です。その面積は甲子園球場10個分で近畿地方最大級の集落とのこと。巨大な内濠の外側には、さらに5〜8つの外濠があったというのですから、ムラというよりシロ(城)ですね。この遺跡は、弥生時代前期(紀元前6世紀)〜後期(紀元3世紀)までの約700年という長い期間使われたようですので、近畿の最大拠点だったことに間違いありません(佐賀の吉野ヶ里遺跡もほぼ同時期・同規模ですが復元方法はまるで異なります)。1936年から発掘調査が行われ、1999年に国史跡として指定され、この史跡公園と道の駅は2018年にオープンしたようです。ところで、一般的に「邪馬台国(やまたいこく)」がどこにあるのかという議論があり詳しい研究を精査してるわけではありませんが、門外漢的に勝手に思うのは、あれは「やまたいこく」と読むこと自体が間違っており、「やまとこく」と読むのが正式だと考えています。「台」という字と「たい」と読むか「と」と読むかです。「やまとこく」であれば間違いなく奈良であったと思います。なぜ「大和」という字を当てたのかというと、「和(倭)国=九州」と張り合っていたから、「大」をつけて差別化していたと考えるのがもっとも腑に落ちたりします。もともとこの地を「やまと」呼んでいたので「大和」と書いて「やまと」と読ませたのだと考えます。ま、いろんな考えがあって良いでしょう。公園には人はまばらでしたが、道の駅は大混雑でした。そんなもんでしょう。ちょっと遅めのお昼は古墳カレーを頂きました。見た目より古墳ご飯の量が多めでした。また、こういう場所に来るとどうしてもアイスを食べたくなるのが不思議です。

1.JPG
2.JPG

3.JPG

4.JPG
│-│-│2026/08/14(金) 08:50

page top