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アラカルト千葉・東山科町今朝のニュースには驚きました!駅前の道路があんなふうに陥没してしまうなんて、ちょっと信じられませんでした。以前、民間会社で働いていたときに、福岡営業所が駅前にあり、ちょくちょく行っていたので人ごとに思えません。交通量の多い時だったらと思うとゾッとします。さて、昨日、比留田家ゆかりの六所神社のことを書いたのですが、今日は比留田家に関わる資料を知人から頂きました!なんというタイミングでしょうか。実は、もともと山科は禁裏御料といって御所に収穫物を献上し、いざというときは警護に当たる任をもった地域で、幕末には「山科隊」が組織され維新の戦いに参加をします。そのリーダーが比留田権藤太という人物です。彼らは地域の未来を信じ戦い続けますが、最終的に都が東京に移転され、隊は解散させられます。天皇へ御膳米を献上してきた伝統がなくなることを恐れ、なんとか東京近くの土地を開墾し献上を続けたいという嘆願をし、権藤太をはじめ有志が最初は大久保の土地で開墾をしますがうまくいかず、続いて千葉にて行いますが、与えられた土地が開墾に適さなかったため、借金を重ねるばかりで成果が上がらず、結局断念します。私財をなげうってまで新天地を切り開こうとした権藤太ですが、山科に帰ってきた翌年に亡くなります。こうして、山科郷士の歴史は朝廷に見捨てられたように終わり、彼らのこともほとんど忘れられかけていました。しかし、地元の郷土史家の方々が現在発掘を始めています。また、千葉に与えられた土地には「東山科町」という名前をつけられ、現在でも人が住まわれています。今年の9月に140年という時を経て京都と千葉の住民同士が初めて交流するという歴史的なことがありました。不明な点が多いようですが、今後いろいろなことが明らかにされるに違いありません。今月その訪問報告会が区役所で行われるようです。都合がつけば参加したいと思います。最近よく思いますが、その土地に刻まれた記憶というものは、そこに住んでいる人でも知らない深い真実が潜んでいる可能性があり、日本という国の重層性を感じます。今日のスイーツは3時のおやつに学内のクリスタルカフェで食べたアーモンドタルトとカプチーノでした☆
│-│-│2016/11/08(火) 23:05│
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