アラカルト

神武東征

世の中には不思議なことが沢山あります。私は2011年から4年間、東日本大震災の調査に明け暮れましたが、その過程で人間の極限の生活、とくにアイヌの人々やサンカの人々の研究をしていたら、そのまま古代史の研究へと繋がっていきました。当時まったくの門外漢でした。そしてある人との不思議な出会いから、神武天皇以前の伝承を知ることとなり、なぜか出雲や熊野とも関わりを持つことになりました。一般に神武東征は嘘の話と捉えられていますが、熊野に行けば行くほど古事記や日本書紀には書かれていない伝承や痕跡に出会います。神武天皇なのか崇神天皇なのかは別にしろ、もし存在しないとしたらなぜこのような伝承や史跡が残るのかという問題を考える必要があります。しかし、学会ではあまり真剣に考えていないんです。これは民俗学会で研究すべき視点です。意外にも熊野については南方熊楠先生はそうした論考はどうも残していないようです。伝承というのは扱いを気をつけなくてはなりません。真実の伝承もあれば、意図的に作られた伝承もあるからです。ただ、長年そういうものに触れていると、直感的にどちらかがなんとなく分かるようになります。問題はどうやって論証するかが難しいところなのです。一方、古事記や日本書紀にも真実の記述もあれば嘘の記述もあります。とくに記紀の許し難い罪は「高天原」という元々の中央政権がどこにあったのかをぼやかしてしまったことです。本当の歴史がわからなくなってしまったのです。だから全国規模で伝承調査をしたら面白い事実が分かるのではないか、そんなことを思っていた矢先に写真の本に出会いました。これも不思議でした。新聞社がこういうことをすることにとても驚きましたが、さすが記者さん、丁寧に調査をされ私が考えていたことを分かりやすく整理してくれています。とても貴重な本だと思います。神武天皇の時代が2600年前というのはまずあり得ません。縄文時代末期か弥生時代前期頃ですから。それを信じる方がおかしいのです。記紀の記述から神武東征は弥生時代か古墳時代であることは間違いありません。征服した側から見るのではなく、征服された側から歴史をひもといていくことで、伝承だけではない小さな痕跡が見つかるのではないかと考えています。最近私の生活は現代にいながら心は古代におります(笑)何かのご縁です、気長に取り組んでいこうと思います。今日は外での打ち合わせの後にたまに行くモスバーガーで期間限定の「とびきりハンバーグサンド」を。国産ベーコンととろけるチーズが挟まっていて、とびきり美味しかったです☆

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│-│-│2016/12/07(水) 23:00

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