アラカルト

街のデザイン・街の関係性

昨夜は寒くて電気ストーブを付けたのに、今日は夏のような暑さ。明日からはまた雨のようです。天気変わりすぎ。◆今日は朝から山科駅前で打合せだったので、久々に駅周辺を観察しながら歩きました。この街にも、一時全国的に流行ったパブリックアートが沢山設置されていますが、まったくシンボル化されていません。かといって疎まれるということもないのかな。ただ、自分たちのモノという意識はありません。私ならこうしたいというのは沢山あります。今月から瀬戸内国際芸術際が開催されましたが、街の風景とは誰がどうデザインするのか、あるいはすべきなのか、いつも考えさせられます。駅周辺には知らないお店が沢山増えつつあります。ブライトンホテルだったところは、ホテル山楽に変わっています。最初の頃の支配人さんとは良く協働事業をしましたが、変わってからは中に入ったことすらありません。人やお店が変わると関係性が白紙になってしまう。一方で、新しい関係性が生まれる可能性もあります。一度宿泊してみるかな。

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│-│-│2022/04/25(月) 21:05

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ずぼらな休日

雨降りということもあり、何もやる気がせず1日ずぼらに過ごしました。少し体を動かそうと、最近利用しているのが『ずぼらヨガ』です。気負わずにできるポーズを分かり易いイラストでまとめられています。また、本を開いたときに水平に止まってくれる構造をしているのも嬉しい。お昼はスーパーの中にあるSIZUYAさんでハンバーグランチ。ゴマパンとバターの組み合わせが好きなんです☆

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│-│-│2022/04/24(日) 23:03

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仕事を愉しむ

なんとか今週も終わりましたが、いつも綱渡り。授業や会議はどうしても拘束されるので、自由に動ける時間が限られます。なので、土曜日とかに雑務をしないといけません。今日は撮影実習が始まったので、撮影したフィルムをいつものラボ京都さんに届けようとしたら、なんと今年の1月で閉店したとのこと…絶句しました…もう頭真っ白。仕方ないので、いろいろ当たってみたら京都にまだプロラボがあるとのことで、早速訪問。AMS写真館という所で、二条駅からちょっと西に行ったところにあります。比較的大きく、きちんとしたスタジオから複数のギャラリーまで備えてあります。ここが京都におけるフィルム文化の最後の砦となるのでしょうか。ただ、このお店でも現像はしておらず、奈良と東京に出しているとのこと。こういう時代だからこそブローニ撮影に最後までこだわりたいと思います。デジタルなんていつでもできるし、そもそも分解できないので構造を視覚的にとらえることができません。教育機材としては中途半端です。機械式が一番。なんとか現像の目処をつけ、その後実習用の資材購入のため北白川のバックス画材さんへ。お昼はその近くにあるにんじんさんのランチをいただきました。土曜日に仕事しつつ、いろいろ課題も噴出したりしていますが、こうやって新しいショップに出会ったり、ついでに美味しいモノを食べたりと、少しでも愉しみを見いだせると、モチベーションも上がります。大きな雑務は終えられたので、明日はゆっくり休めそうです。

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│-│-│2022/04/23(土) 21:08

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家族の血

朝から外部で本の編集打ち合わせをし、そのまま午後から実習授業を連続で行うともう夜。お昼をゆっくり食べる余裕もなくなるので、授業日に外部打合せやっぱり入れたくないものです。◆それはそうと、この間実家に帰った折り、父親から本をもらいました。うちの兄が書いた本で、先日父に送ってきたようです。ちなみに、本庄繁長というのは戦国の武将です。兄も東京で忙しくしているようですが、合間にこうした執筆をしているというのは、なんとも血は争えないと思ったりします。昔から兄は読書が好きな人でしたから、研究的素養は私よりあるはずです。私はどちらかというと、体を動かす方が好きなんだけど、普段は頭ばかり動かしています。週末は少しでも体を動かすことにしよう。

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│-│-│2022/04/22(金) 22:17

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錦の語源

雨のせいか、少し肌寒い感じでした。明日は気温が上がるようです。◆授業期間が始まると、それだけで気がとられてしまうので、それ以外の仕事が入るとアップアップしてしまいます。とにかく物忘れが酷い。くれぐれもミスしないように気をつけたいものです。◆今週の生け花は、「ニシキギ」でした。秋に錦のような紅葉をするので、この名があります。この季節は若葉が出てきて、まさに新緑を象徴するような凜とした佇まい。と同時に、茎に翼があるので、非常に荒々しい無骨な側面ももっている不思議な木です。ちなみに、錦の語源は、恐らく「丹(に=朱)を敷く」から来ていると私は考えています。つまり、「朱を散りばめたような」=「真っ赤な」という意味をもっていると推測できます。その発祥地は、熊野の那智でしょう。この地に、かつて古代に「丹敷(にしき)」という人物がこの地を支配しており、そのこともあってか、那智の扇祭りにはまさに錦の御旗のような「扇神輿(おおぎみこし)」が立てられます。あれは御柱ですが、太陽でもあり、扇は山の神の象徴なのです。また、丹は水銀朱を意味しますので、そこに赤色との関係があります。日本文化の奥深さを感じます。

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│-│-│2022/04/21(木) 22:38

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