アラカルト

ハロウィン

今朝はニュースを見ていてちょっと信じられませんでした。首里城が焼け落ちる映像をみていたら、9.11を思い出しました。思えば、1992年に正殿が完成したとき、すぐに見に行った記憶があります。あの時は正殿だけで、まだ周りに何もありませんでした。その後も何度か足を運び、少しずつ充実していくのを見てきました。30年かけて今年完成させたというのに…残念無念です。再建に少しでも協力ができればと思います。◆明後日から3連休ですね。駅前の商店街で手作り市などのイベントが4日に開催されます。また、先日延期になったバルフェスタも3日・4日と行われます。大学は月曜日が平常授業になるので4日は行けませんが、3日に覗いてこようと思います。◆今日はハロウィンですね。スーパーでパッケージにつられてお菓子を買ってみました。中を開けてみると、いつもの銅鑼焼き(笑)ドクターX観ながらハロウィン気分で美味しく頂きました☆

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│-│-│2019/10/31(木) 22:44

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岩屋三社の謎

昨日とは変わって、今日はちょっと暖かい感じでした。でも、朝からなんだかずっとバタバタしていました。一応、今年度から学科長になってしまったので、そちらでも調整事項が増えてしまいました。ゼミのプロジェクトも毎日調整に次ぐ調整作業が連日続きます。◆そんな仕事の合間に、お呼ばれしていた講演会に参加してきました。地元の研究者であります鏡山次郎さんという方が、例の磐座と岩屋神社の関係について見解を述べられました。彼は神社史を編纂されていますので、史料についての論考が詳しいのでとても参考になりました。本圀寺の岩についても最後に触れてくださいました。方向性としては私の考えと一緒です。つまり、天智天皇陵の場所にかつて上岩屋神社があった可能性が高いというものです。何か史料が出てくれば確実なんですが、状況証拠から考えてほぼ間違いないと思われます。大勢の人の前で発表がなされたのは今回が初めてのことなので、参加者の方はさぞ驚いたことでしょう。山科区長さんも最後まで聞いて下さっていました。ずっと謎であったことではありますが、いろんな方向から検討することでさらに明らかになっていくことでしょう。三つの岩屋に囲まれ守られている町ってなんかカッコイイ。◆帰りに椥辻にできるイオンの工事現場を見てきました。もう建物がほぼ完成していました。山科は近年住宅街が広がってきましたが、まだ写真のような野菜販売所が沢山あります。こんな風景がいつまでも残れば良いなぁと思います。

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│-│-│2019/10/30(水) 21:49

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タイムカプセルを開ける

寒いですねぇ。でも、明日からしばらく暖かくなるようです☆◆さて、徳島の最後です。長時間のドライブになるため、何かCDでも持っていこうと思い、引き出しをごそごそしていたら柴咲コウさんのCDがありました。しかも、未開封!買った記憶がない。2009年と書いてあるので、10年も前のもの。タイムカプセルを開けた気分になりました。タイトルリストの中に「最愛」があり、昔、東野圭吾さんの推理小説で『容疑者Xの献身』というものが映画になったことがありましたが、その主題歌が好きだったので購入していたのでしょう。海辺の風景を見ながら鑑賞しました。なんとなくまだMP3とかで音楽を聴くという気がしません。古い人間と言われようとも、CDのように形あるものが好き。編集者の魂があると思いたい。◆今日のお菓子は、ゼミ生が青森で買ってきてくれたリンゴのフリーズドライ。リンゴそのものでした。すごい技術ですが、やっぱり生のリンゴの方がいいかなぁ。

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│-│-│2019/10/29(火) 22:32

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徳島の神秘

今日も良い秋晴れとなりましたね☆でも、明日はまた雨のようです。◆さて、またまた徳島の続きです。徳島は本当に凄いところだらけですが、その中でもとくに神秘的だったのが「阿波国一宮・天石門別八倉比売神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)」です。名前が長い。天石門は、天の岩戸のことです。漢字だけ見ているとよく分かりません。天の岩戸を別けるというは、恐らく天の岩戸のような場所を切り開くという意味と私は捉えています。また、八倉比売とは祭神である大日靈女命(おおひるめのみこと)のことであり、別名を天照大神と言います。つまり、天の岩戸と天照大神に関係する神社ということになります。場所は阿波史跡公園というところにあって、近くにある徳島市立考古資料館で事前勉強してから参拝しました。神社のある杉尾山そのものが神体山になっています。創建は紀元前に遡るとされる古社で、元々は近くにある気延山の山頂に祀られていたそうです。とにかくメチャメチャ古い神社です。気延山中には200余りの古墳群があり、境内には最大級の前方後円墳があります。その前方部には拝殿・本殿が作られ、後円部に奥の院があります。奥の院には五芒星を思わせる五角形の祭壇が作られていて、まだこの古墳は発掘されていないそうです。一説には天照大神を卑弥呼と同一視し、この古墳を卑弥呼の墓とする考えもあるようですが、ちょっと無理がある感じがします。しかし、記紀ができる以前、この地には相当強大な政治的中心であった可能性があります。神社に伝わる『天石門別八倉比賣大神御本記』によれば、天照大神の葬儀を表したとされる記述もあります。ただ、この書は偽書とされているようですが、サイトなどで読む限り記紀より古い記述なのではないかとも読み取れます。不都合な真実は皆嘘にしたかったのでしょうか。よく分かりませんが、天照大神が高天原からここに天下り、天の岩戸のような場所を別け開き、最後ここに落ち着いたのかも知れません。基本的に日本の神の多くは、ホツマツタヱのように、かなりの部分実在の人物であったと私は考えるようになってきています。恐らく弥生時代になって、それまで崇拝していた山や岩、川、樹などに尊い人の名を付していったのだろうと思えて仕方ありません。外来信仰との関係でそうなっていったように思われます。まぁ、実際その時代にタイムスリップしないと本当のところは分かりませんが、神武伝承や徐福伝承も含め、だんだんとその実在性が明らかになりつつあります。趣味のライフワークとしてぼちぼちとやっていければと思います。とにかくここは縄文、弥生、古墳と続くかなり古い信仰が感じられる貴重な空間です。でも、とっても行きにくい場所なので、訪れる人はほとんどおりませんでした。四国は八十八ヶ所が有名ですが、お寺よりも神社の方が古い文化を知れて面白い。でも、空海はその文化を消したかったのかなぁ。道も狭く、やっぱり知らない土地でフィールドワークするにはジムニーくらいの車がいいです。◆帰りに鳴門でどら焼きを買って、運転しながらパクつきました☆

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│-│-│2019/10/28(月) 23:22

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天日鷲神を祀る忌部神社

今日は日よりも良く、家でのんびりできました。◆さて、徳島の続きです。アウトクラスカーズさんの帰りにまず寄ったのが、「忌部(いんべ)神社」です。徳島のランドマークでもある眉山の麓にあります。忌部氏は、古代の宮中祭祀を統括した人達でした。その後、藤原氏に実権を握られていきますが、天皇即位儀礼である「大嘗祭(だいじょうさい)」に際して「麁服(あらたえ)」という布を献上する役目を今でも行っています。もともとの忌部神社はとても大きな神社だったようで「四国一の宮・忌部大神宮」とも言われたようですが、その後なぜか所在がはっきりしなくなり、複数の神社が「うちが本来の忌部神社だ」と主張するようになります。山崎村の忌部神社、山川町の忌部神社、美馬郡の御所(五所)神社です。なかなか結論がでなかったため、これまでとは関係のない現在の地に建設されました。祭神は天日鷲神(あめのひわしのかみ)で、天照大神の天岩戸開きに関係しています。また、忌部氏の祖神とされています。新しく開かれた場所とはいえ、巨大な岩盤の上に作られているような立地で、ご利益がありそうだったので多くのお祈りをいたしました。祈りは届きましたでしょうか。いつかそれぞれの神社にも訪れたいと思いました。◆今日のスイーツはレガーロさんで頂いたきなこと黒蜜のブリュレ。かき混ぜ具合で味に変化をつけながら食べてみました☆

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│-│-│2019/10/27(日) 22:28

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