アラカルト

蜂 + カフェ

もうそろそろ6月が終わってしまうんですね。良く晴れて本格的な夏がやってくる感じがします。って、まだ梅雨が…。ところで、また伊勢の話に戻りますが、街を歩いていて驚いたお店がありました。それは、「養蜂体験カフェ」なる施設です。ちょうど猿田彦神社と伊勢神宮の中間くらいにあります。蜂蜜を主体としたお店ではありますが、そのサイドヤードに養蜂体験が出来るコーナーがあるんです。発想はあったとしても、本当にここまで実際に作ってしまうという点に感心しました。私は蜂は苦手なので入りませんでしたが、個人的なインパクトは絶大でした。いろんなカフェがあるんですね。今日のお菓子はゼミ生が実家の長野で買ってきてくれた細長いバームクーヘン。手作りの温もりが感じられる一品☆ごちそうさまでした。

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│-│-│2019/06/25(火) 22:20

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夏至と三上山と銅鐸と

なんか爽やかな天気。今年は梅雨を通り越して夏になりそうですねぇ。今日はビアザ淡海で滋賀次世代文化芸術センターの総会があったので、琵琶湖へ。見晴らしがよく三上山がよく見えます。この時期は夏至ですので、太古の時代は二見ヶ浦のようにこの山から昇る太陽をどこかで拝んでいたと思われます。以前は守山の伊勢遺跡という円形の不思議な遺構があるのですが、そこが太陽礼拝の拠点と思っていましたが、どうも夏至のラインとはずれるようです。今は栗東の宇和宮神社辺りが怪しいと勝手に思っています。ただ、この辺りは銅鐸文化だったので、それを否定する人々に拠点そのものが破壊されたのかも知れません。ただ、面白いことに銅鐸をよく見ると、下側は「山」で、取っ手部分は「山からまさに昇ろうとする太陽」のように見えるのです。つまり、銅鐸のモチーフは三上山(神奈備山)から昇る朝日(魂が再生する瞬間)なのではないかと個人的に考えています。もともと銅鐸は道具として外からもたらされますが、その形が尊い姿によく似ていることから巨大化し、信仰の対象になったように思えてなりません。よく流水文銅鐸(図は「琴詩書画巣・日本絵画の始まり」のHPより)というのを見ますが、あれは流水ではなく山にかかる「雲」や「霞」をイメージしていて、動物や狩りの絵は山の中の恵みやそれを採取する人間を表していると考えます。さらに、銅鐸まわりにデザインされたギザギザ文は太陽の光芒ではないでしょうか。その後、巨大銅鐸になるとその光芒が飛び出したようなものも作られます。この銅鐸のデザインがその後の巨大前方後円墳のデザインにも採用されたというのが私の考えです。縄文・弥生・古墳時代とモノは変われどもモチーフ・デザインは変わらない。このことは古代人の生死観や信仰を考えていて行き当たりました。さらに、古墳時代が終わってもこの山と太陽のモチーフは沢山作られ続けるのですが、長くなるのでそれはまたいつか書きたいと思います。今日のお菓子は同僚の先生からいただいた福井の「水月年縞」。あの世界標準と言われる水月湖の年縞をお菓子にしちゃったものです。こんなのあったんだ、スゴイ!お酒が入っていて、ちょっと大人の味がしました☆ごちそうさまでした。

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│-│-│2019/06/24(月) 22:51

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もう一つの人生

金曜日にだいぶ良くなったと思ったんですが、昨日また吐き気がしてダウン。でも、もう落ち着いたので大丈夫だと思います。昨日は仕事や遊びの予定もあったのですが、多くの方にご迷惑をかけてしまいました。申し訳ありませんでした。で、今朝は何か夢を見たようです。自分でもよく覚えていないんですが、いつも枕元にメモ帳を置いていて、暗号のような文字が書かれています(汚い字でスミマセン)。半分寝ている状態で書いたものなので、なかなか読み解くのが難しいです。が、見ているとだんだん思い出してきます。書いておかないと、そのほとんどはすぐに忘れてしまいます。今日はどうも夢の中で引っ越しをしたようです。場所はどこだかわからないですが、平屋建ての和風の小さな家のようです。もともと和風の家は好きなので願望が夢に出てきたのでしょうか。なんとなく畳みの感触は覚えています。そこに両親が突然遊びにきます。父親はちゃんと歩いています。ただ、この日は出勤日だったので、ゆっくり対応する時間もなく仕事場に向かいます。働いているのは幼稚園みたいな施設で、子ども相手にワークショップのサポートをしています。この辺りからほとんど記憶はないのですが、メモによるとこの活動中に大人の人が急に参加してきたのですが、遊具のストッパーが外れてしまい頭を打ってしまうという事故が起きたようです。これに怒ってクレームを言われますが、遊具は柔らかい素材で出来ていたようでそれほど大きな怪我ではなかったのが幸いだったようです。メモはここで終わっています。なんか中途半端な夢ですね。予知夢でないことを祈ります。ほぼ毎日こうした夢を見ていますが、記録できるタイミングは起きる直前にかなり鮮明に見ていたもののみです。寝ているときにはもう一人の自分を生きているのですね。

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│-│-│2019/06/23(日) 23:30

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少しの変化

昨日は参りました。結局ウイルスをもらったようで、朝から最悪の体調…しかもタイミングが悪いことに木曜日は授業や打ち合わせは目一杯ある日。とりあえず、気力でなんとかこなしましたが、頭が回らず最低限のことしかできず…。今朝いつもの病院に行って検査をしていただいたら、なんと風邪というより胃腸炎という診断に。そういえば、東京にいった夜に懇親会で食べた後に胃が苦しくなったのを思い出した。アレかなぁ。でもだんだんと良くなり、夕方にはもうほとんど普通の状態になりました☆昨日は死ぬかと思いましたが、身体って不思議。スイーツも食べられるように☆一応しばらく処方された胃腸のお薬飲んでみます。少しの変化を放っておいてはいけないということですね。

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│-│-│2019/06/21(金) 21:29

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繁盛の裏側

なんだかまた刃物男が現れたようで、物騒です。今日は会議の多い1日ではありましたが、特別なことはしていませんでした。ただ、家に帰ったら身体が動かず、そのまま眠ってしまいました。疲れが溜まっているのでしょうか。私の場合、即寝のときでもちゃんと部屋着に着替えているんですけどね。さて、伊勢の続きです。外宮に続いて内宮に参拝し、最後におはらい町・おかげ横丁です。この日は雨でしたが、駐車場が止められないほどの混雑。町の中も人、人、人。繁盛しすぎで羨ましいです。かつては、おかげ横丁が繁盛する感じでしたが、今ではおはらい町の方が勢力が大きくなっている感じです。歩いている人の話を聞いていると、「おはらい町」と「おかげ横丁」を混同している感じです。なので、よく観察するとおかげ横丁の中で人寄せのイベントなども行われていましたが、奥側にあまり人が行かなくなっています。このエリアの設計時にアンカー施設として立てられたのが「おかげ座」という施設です。私が前にいた会社で、このエリアの全体計画とおかげ座の設計・製作を行っています。定期的にこのエリアには来ていますが、なかなか時間がとれずおかげ座の改修状況が確認できず、どうなっているのか気になっていたのです。結局、当初の設計時から大幅にリニューアルされていて、完全に別の施設になっていました。最初は伊勢の「おかげ参り」を再現する(「おかげの意味を説明する」)施設として建設されましたが、今は古事記などの「神話を伝える施設」になっています。それもほとんど映像のみで、空間の使い方があまりよろしくありません。ただ、同じコンテンツでは飽きられてしまうので、定期的な改修は必要でしょう。それでもほとんど人が入っていなかったです。ここは民間の施設ですが、公共施設も工夫しないと同じ運命を辿りますし、今は効果がないと予算削減、人員削減で未来が見えません。繁盛している様に見えても課題は大きいのです。全体に広がったは良いけれど、差別化が出来なくなった関係で、恐らくおかげ横丁を管理運営する株式会社伊勢福は今後さらに事業を変更せざるを得ないのではないでしょうか。また、おかげ座はそのうち子供の遊び場になっていたりなんかして。とにかく、ここが完成したのが1993年ですから、もう26年も経っているんです。時の経つのは早いものですが、当初ゴーストタウンのようだった町が、課題はあるにせよだんだん元気になっているのを見るととても嬉しく思います。何も無かったところに赤福の濱田社長はこのエリアの建設費用140億円を自己資金でまかなったのです。普通の経営者ではできないことです。民の力が地域振興に大きく影響した事例だと思います。

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│-│-│2019/06/20(木) 00:44

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