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実習訪問

この時期は4回生の博物館実習が行われます。今日は、栗東歴史民俗博物館と琵琶湖博物館に訪問して学生の様子などを確認してきました。暑い中、いろいろお世話になります。栗東では、移築民家の障子の張り替えが行われているところでした。新居は障子が多いので、いつかやらないと。琵琶湖博ではお米の企画展が開催中でした。とくにお田植神事の映像は面白かったです。滋賀は弥生時代からの米所なので、田の神に関わるものが多い。とくに大津の太神山(たなかみやま)は、もともと山の神だったと思われますが、いつのまにか田の神(たのかみ→たなかみ)に変化したものと考えられます。それだけ、お米の力が勝っていったのでしょう。お昼は琵琶湖博のレストランで近江牛丼を頂きました☆

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│-│-│2023/08/24(木) 16:27

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神になったお役人

写真を整理していたら、先日富士の須走に行った折に撮影したものが見つかりました。移動中、たまたま遭遇した伊奈半左衛門忠順さんと彼を祀る伊奈神社です。話は江戸時代の宝永4年(1707年)11月23日。その日、富士山が大噴火を起こし、それが半月も続きます。とくに富士東麓の御厨(みくりや)地方(小山町、御殿場市、裾野市の一部)は壊滅状態となり、ほぼ捨てられた場所となります。しかし、地元民の再三の支援要求があり、幕府から関東郡代伊奈忠順さんが派遣され、彼は寝食を忘れて奮闘するも復興は困難を極め、餓死者が続出します。彼はこの状況を放っておくことはできず、掟を破って幕府の米蔵を独断で開き、窮民に分配してしまいます。当然、そのことは幕府に知られることとなり、彼は役を解任され、しかも翌年の1712年に急死します(享年40歳)。一説には、責任を取って切腹したとも伝わります。この地域の方は、彼の恩義を忘れずに後世に伝えるべく、慶応3年(1867)にこの神社の前身となる祠を建立したとのことです。この神社に来るまでそのことをまったく知らず、災害復旧の過酷さを知るとともに、当時立派な代官さんがいたことに感謝の念でいっぱいになりました。今後、いつどこで災害が起きるかわかりません、日頃の備えをしっかり行っておくとともに、いざという時の対応方法も考えておく必要があるでしょう。

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│-│-│2023/08/23(水) 13:22

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文化庁と右近の橘

朝から今日も4回生の卒業パーティ委員のメンバーとホテルの会場をいろいろ視察。その過程で、たまたま新しい文化庁の建物を見る機会を得ました。京都府庁舎の近くとは知っていましたが、すぐ横です。ここは御所の西、紫宸殿からすると「右近の橘」側となります。文化勲章の紋章が橘ですので、ある意味縁のある場所です。文化庁の北側にブライトンホテルがありますが、そこは京都橘学園発祥の地でもあり、橘つながりで縁があります。ピカピカなビルより味が合って好きです。交渉しましたが、警備が厳しく中に入れてもらえませんでしたけど。

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│-│-│2023/08/22(火) 16:26

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科学的根拠の根拠

いよいよ処理水の海洋放出が始まるようですね。科学的根拠に基づき安全というなら、生活水として使えばいいのにそうしないのは安全ではないからでしょう。科学的根拠の根拠を示すことが大事だし、科学者はもっと声を出して欲しいと思うのは私だけでしょうか。◆今日は久しぶりに京都の町中に出ました。今の4回生は新型コロナの影響で入学式ができなかったので、卒業式にきちんとパーティーをやろうということで、パーティー委員会というのを結成。今日明日とメンバーといくつかの会場を下見しています。ただ、集合時間を間違え1時間以上も早く来てしまったので、時間つぶしに先斗町・木屋町周辺をうろうろ。川沿いで読書をしてみたり。少し優雅な時間を過ごすことができました。蚊に刺されたけど。

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│-│-│2023/08/21(月) 13:51

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新緑の毘沙門堂

京都は暑いですがいいお天気です。新緑の毘沙門堂にお参りしました。実は新居はここから歩いて数分。いつでも行けるのですが、近いとなかなか行かないものです。場所的に氏寺のようなところになるので、なるべく頻繁に参拝できればと思います。秋の紅葉も楽しみです。

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│-│-│2023/08/20(日) 11:27

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