アラカルト

山科川の桜並木

ゼミナールが始まりました。3回生は比較的自由を謳歌していたようですが、4回生は就活で疲れ気味。個別に指導していた学生の最終面接が今週末にあるようで、どうか受かりますように。◆先々週の画像ですが、山科川の桜並木が綺麗だったので、忘れる前にアップしておきます。年々、花見客は多くなってきていますが、エリアが広く比較的まったり鑑賞できるのでこの場所が好きです。植樹の頃から知っているので、愛着もあるし。

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│-│-│2025/04/16(水) 08:06

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限りなき挑戦

日本の総人口が14年連続減少しているとの報道がありました。いろいろ対策をした結果ですのでこの流れはそう簡単に止められないでしょうが、幕末時の人口が約3000万人だったことを思えば、まだまだ多すぎるのかも知れません。ちなみに、平安時代の人口は約600万〜1000万人だったようで、そういう意味で渡来人の割合は非常に高かったと思われます。◆さて、授業期間が始まり醍醐寺さんの三宝院御流の華道も開始されました。今週のお華は、赤いガーベラと白いストックでした。色鮮やかで元気が出ます。赤いガーベラの花言葉に、「限りなき挑戦」があります。新入生に向けた言葉としてふさわしいですし、私はたとえ人口が少なくても情熱をもって挑戦する心があれば、いろいろ課題があっても乗り越えられると考えています。

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│-│-│2025/04/15(火) 09:00

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地域のお仕事

冷たい雨が降る日曜日で冬に戻った感じでしたが、また春に戻ることを祈ります。◆昨日は朝から自治会班長の引き継ぎや総会などがあり、いよいよ地域の仕事を本格的に行うことになりました。リフォームで家が離れているので行き来が大変ですが、なんとか凌ぎきりたいと思います。午後は家の周りのお掃除。この時期は落葉等が凄く、工事現場の人が居ない日曜日やることにしました。冷たい雨に濡れながらの作業でしたが、お昼は「ゆる音家」さんで和風パスタとお店のオススメケーキを頂き癒やされました☆

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│-│-│2025/04/14(月) 09:01

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ショールームでの打ち合わせ

国内で万博が開幕するというのに高揚感はなく、心配ばかり。カジノ万博に私は行きませんが、ただただ無事に終了することを祈るのみ。1970年万博時、太陽の塔の眼に約1週間籠城するという「アイジャック事件」があったのを知っている人(覚えている人)はどれほどでしょうか。今回も何かあるような気がしてなりません。◆昨日はリフォームの打ち合わせで「タカラスタンダード」という水回り機器を製造販売している会社のショールームに伺いました。設計士さん曰く、この会社の素材は壊れにくく長持ちする製品を作っているそう。見た目や使い勝っては良くてもすぐに傷んだり変色する商品も多いらしい。この日はお風呂場の製品やデザインなどを確認。やっぱり写真で見るのとは質感が全然違います。絶対モノを見るべきです。それから、ライフスタイルが多様化していることに対応して、多くのバリエーションがあったのも新鮮でした。ただ、「もう少しココを工夫したい・改良したい」という部分もいくつかあり、自分で商品開発をしてみたくもなりました。どちらかというと、完成したものを見る事以上に完成までのプロセスが好きなんだと改めて思いました。上を見ると切りがないので、オーソドックスなもの中でチョイスしました。

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│-│-│2025/04/13(日) 08:21

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沙沙貴神社と乃木将軍

ソメイヨシノはかなり散ってしまいましたが、気持ちの良い季節が到来しました。目覚めが良いです。◆さて、先日安土地に行った際、沙沙貴神社にも寄ってきました。長く視聴してきたNHK「坂の上の雲」(再放送)が終わり、乃木将軍へのご挨拶です。この神社の権殿には、中央に佐々木源氏の一族が祀られ、向かって左に乃木希典・静子夫妻を右側にはこの地域から出征した戦没者3700余名が祀られています。なぜ、彼がここに祀られているかというと、乃木家は佐々木四郎高綱公の後裔とされており、関西に来る度に自分のルーツであるこの神社に参拝し、死後の魂はここに祀って欲しいとのことからです。坂の上の雲での乃木将軍は旅順攻略における愚直な戦術家として描かれますが、あれはあくまで司馬遼太郎氏の解釈です。その人生は、子どもの頃は虚弱体質で左目を怪我で失明していたにも関わらず、第2次長州征討への従軍、西南戦争への従軍、日清戦争への従軍、台湾征討(乙未戦争)への参加、台湾総督への就任、日露戦争への従軍、学習院長への就任(昭和天皇の教育係)など、凄まじい境遇の中で日本を築き守り抜きます。そして1912年9月13日、明治天皇の大喪の礼(国葬)が行われた日の夜、妻静子さんとともに自刃して亡くなります。享年62歳と52歳。江戸から明治・大正へと変わる激動の時代に生き、迷い誤解されながらも彼なりの武士道を貫いた人生だったと私は解釈しています。権殿の脇には「乃木将軍御手植えの松」がありますが、これは1906年6月28日に参拝されたとき乃木将軍が自ら鍬をもって植えられたものだそうです。石碑には彼が子どもたちに語った言葉が刻まれています。

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│-│-│2025/04/12(土) 10:36

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