アラカルト

初夏の太陽

週末は予定を入れず比較的のんびりできましたが、ボーッとしていると庭が気になったり屋内の汚れが気になったりして、結構作業をしてしまいました。時間に余裕があると、普段見逃しているものに眼が行きますね。◆今週のお華は、ガーベラ(ウォーターメロン)、カラー(キャプテンオデオン)、マリーゴールド(ホワイトスワン)、カンパニュラ(チャンピオンホワイト)、デルフィニウム(スーパーハッピーピンク)、スモークグラス(穂)です。テーマは「初夏の太陽」です。今日はよく晴れるようなので、ピッタリです。見る人の心にも太陽が輝きますように。

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│-│-│2026/05/25(月) 08:42

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和風住宅での思考

最近、皇位継承のあり方について議論されています。いろんな意見があるとは思いますが、結論がずっと棚上げになっています。ただ、皇室も時代の流れで一夫一妻制となり「男子を生まなければならない」という強烈すぎるプレッシャーが常にあります。そこから少しでも開放できる現実的な案を1日でも早く提示してほしいと願います。◆うちはもともと純和風住宅として作られ、1階に茶室があります。前の住人が簡易改装で茶室以外の部屋を完全洋風に作り変えたため、デザインがチグハグでした。しかも、腐った柱やシロアリにやられた柱はそのままに上からボードとクロスを貼っただけでした…。茶室の近くに洗面所がありますが、ここも普通の白い洗面器が置いたあっただけです。それを使いまわすことはできたとは思いますが、和の空間に真っ白はどうも合わないと思い設計士さんと相談して信楽焼の洗面器を置くことにしました。知人の陶芸家さんに作ってもらおうかとも一瞬考えましたが、絶対間に合わないと思い既製品にしました。これまでずっと洋風の家で暮らしてきましたが、和風の家に住むと「和の文化」を常に考えるようになります。床の間などはまだ何も飾っていませんが、華道を始めた理由の一つに「床を飾れるようになりたい」という意識が少しあります。時代の変化で、床の間がなく、柱も畳もない家の方が多くなりました。こういう時代だからこそ、「和の文化を次代に繋いでいけ!」と神様にいわれているような気がしています。考えてみれば、和風建築は「日本文化が詰まっている装置」ともいえます。できることは限られるので、急がず楽しめる範囲で対応ができればと思います。

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│-│-│2026/05/24(日) 08:53

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つなげる屋台

報道によれば、物価上昇の影響を反映した昨年度の実質賃金は前年から0.5%減少したようです。結局、高市内閣でも給与は上がらないし、会議ばかりしていて消費税減税もどこかに行ってしまいました。意識ある人が本気で改革をしてほしい。◆学内をうろついていたら、壁掛けの絵画がぐちゃぐちゃに曲がっているのを発見。ちょっとした課題があっても、みんな見て見ぬふりをしてしまうのでしょう。せっかくポップで綺麗な絵があるのに整っていないとなんとなく心がざわざわしてしまうので、ミリ単位で調整します。写真では少し曲がって見えますが、それはレンズの歪みです。この絵のある空間は、うちの建築デザイン学科ができるときに無印良品さんとコラボして誕生したところ。この場所に「つなげる屋台」というコーナーがあって、うろうろしていた目的はそれを見つけるためでした。この屋台は、学生が不要になったものを展示し、欲しい人が勝手に持っていく(一応、受け取った人は付箋で感謝のメッセージは残す)という無人のリユース的コーナーです。今後、本プロジェクトで利用させてもらう可能性があるのですが、なんとなく自分たちでオリジナル回収ボックスを作った方がメッセージ性は強くなるかなと思ったりしました。◆このところハードな日々が続いたので、今週末は少し自分自身に時間を使いたいと思います。

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│-│-│2026/05/23(土) 09:13

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「電車嫌いのクルマ好き」の理由

5月は竹が成長するとともに、枯れた葉が大量に落ちてきます。雨で濡れると掃き掃除が難しいですが、工夫して綺麗にするのが最近の朝の日課です。◆昨日は成城の事を書きましたが、実は本籍や学校は成城でも住まいは神奈川県相模原市にありました(生まれも相模原市民病院です)。相模原市という所は、当時何もない原野を開発した新興住宅地で、そこに住んでいました。家の後ろに大きな森があって、よくその森でクワガタを捕ったりして遊んだ記憶があります。小学校時代は親の方針で父の仕事場である世田谷区成城の明正小学校に「越境」という形で通学をしていたんです。その頃は越境の意味もよくわからず、指示されるままに通っていたわけです。公立小学校の場合、通常決められた通学地域があるのですが、特別な理由によりその地域外からの通学を認められることを俗に「越境」といいます。両親がどのような理由で越境をさせたのかは一度も聞いたことはありませんが、恐らく相模原の教育環境が当時あまりよくなかったからだと思われます。つまり、小学生の6年間、一般のビジネスマンと一緒に満員電車で約1時間かけて通学をしていたんです。しかも、仲のよい友達以外に越境通学をしていることを知られないために、それを隠したまま通い続けていました。だから、なんとなく後ろめたい小学生時代だったんです。中学校は同じ世田谷区内の成城中学校に入学できたため、一緒に通学できる友達ができ、なんと安心できたことか。何より、毎日混雑している電車に乗るため、電車に対して特別な思いをもつことはなくなっていました。電車が嫌いというよりは、満員の電車に乗ることが嫌いといった方が正確かも知れません。小さい子どもがあの人混みに同じように押し込まれるわけなので、たまったものではありません。当然ランドセルなどは邪魔になるので使えません。確か入学時にランドセルを買ってもらった記憶はあるんですが、使った記憶はありません。いつもは肩から斜めにかける白いショルダーバッグを使い、それを体の前側に抱えてもつような形でじっと過ごしていました。電車には罪はありませんが、通学が本当に苦痛であったため、今でも電車を見るとその思いが募ります。ですから、当時たまに開催される社会科見学等で友達が「電車に乗れるのが楽しみ☆」とか「電車で酔ったらどうしよう…」とかいって騒いでいるのを聞くと、「かわいいなぁ」と思ったものです。つまり、自分にとって電車とは日常的な乗り物となっていたため、さして珍しさがあったわけでもなく、憧れることもありませんでした。むしろ、普段乗ることができないクルマや飛行機の方に関心があありました。ただ、電車の全てが嫌いだったわけでもなく、愛着のある電車も少なからずありました。とくに小田急線で昔使っていた「9000形」という電車は一番好きでした。当時、小田急線の車両カラーは白地に青いラインが入っているものでした。その色に懐かしさを感じますし、中でも9000形は正面の窓の形が変形の四角形をしていて、そのスタイリッシュなデザインは見ていて飽きませんでした。また、まず乗ることができなかった「ロマンスカー」は特別な感情があります。調べてみると、小田急線海老名駅近くに「ロマンスカーミュージアム」ができたようです。中でも、「NSE(3100形)」というのが私の中では一番身近な車種でした(写真はミュージアムのHPより)。小学校1年生から京都に来るまで、ほんまに「通勤地獄」が長く長く続いたので、京都では電車通勤だけはやらないと決めていました。今は、家から職場までクルマで15分くらいですから、それだけでも幸せを感じます。一方、家から片道2時間かけて通ってくる学生も結構いたりするので、頭が下がります。

ロマンスカーミュージアム
 https://www.odakyu.jp/romancecarmuseum/

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│-│-│2026/05/22(金) 08:59

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成城との縁、森の生活

阪神の大逆転すごかったですね。ただ、2点返したところで「あと5点は無理だろうなぁ」と思って録画を見てしまったのが悔やまれます。◆録画では、NHKの「ブラタモリ」で2週連続「成城特集」をされていたので、懐かしく思いがっつり見ました。私は本籍が成城で、地域にある「ゆかり文化幼稚園」「世田谷区立明正小学校」「成城中学校」「成城高等学校」「成城大学」「成城大学院」と、子どもの頃から青春時代までずっとこの地に関わりを持ってきました。仕事をしてからは、杉並区荻窪、小平市小川町と移り、2001年からはずっと京都市山科区在中です。詳しく聞いたことはありませんが、父親(木下照嶽)は成城をとくに気に入っていたようで、彼が大学教員になるまでは長年「成城進学教室」という進学塾の経営をされていました(私もかなり手伝いましたが…)。父は俳句が趣味で、俳号は「星城」。自分の名前に「せいじょう」を入れる程なのです。富士山が好きだったので、晩年は静岡県御殿場市に住み、自分で「富嶽出版」という出版社を立ち上げ、俳句や専門の会計学に関する雑誌や本の発行を亡くなるまでしていました(写真)。私は、2000年までは関東の新興住宅地やマンションに住んできましたが、なぜか京都・関西に縁があり、しかも今の森の中での生活が一番落ち着きます。

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│-│-│2026/05/21(木) 09:07

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