アラカルト

家族で小旅行

今日からお盆休みという方も多いのではないでしょうか。実家近くの沼津の高速で大きな事故があったようです。休み中、くれぐれもお気を付けください。今日は家屋でポーラ美術館と芦ノ湖畔のホテルでゆっくりお食事をしました。今日から始まる美術館の展示(名品と現代アートのコラボ)を父が観たいというので、車いすで一緒に回りました。車いす動線を確認しながらの鑑賞はほとんど仕事の調査をしているようでした。一番困ったのは車の乗り降りする場所でした。ちょっとしたスペースがないだけで結構危険です。ホテルはストレスなく移動ができました。お食事もちょっと贅沢な和食ランチ。デザートはカボチャのプリンでした☆

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│-│-│2019/08/10(土) 22:04

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ちょっとした事件

今日からお盆休みをいただいて実家の御殿場に帰省しています。駅前がリニューアルして綺麗になっていました。かわいいサインも。母親と買い物に行ったらちょっとした事件に。鍵が無くなり、家に入れなくなってしまったのです。結局ドタバタの末見つかったのですが、今後はスペアを持つことに。写真の鍵は私のです。昔、私も京都に来てすぐのころ、鍵を無くしてホテルで一夜を過ごしたことがあります。なので、今は絶対見つからないところにスペアを隠してあるんです。あと、昔はキーを車のシリンダーに刺していたので、無くなりようがなかったですが、今のは鞄にいれてしまうので、別々になるのも問題かもしれません。今日のお菓子は家で頂いた梅のゼリーでした☆梅干しは苦手ですが、甘さが入った梅は大好きなんです。

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│-│-│2019/08/09(金) 21:02

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奇跡すぎる酔芙蓉

暑すぎて日中外に出ると焦げてしまいそうです。日焼け止め塗らないと危ないですね。この頃は酔芙蓉の花が咲くようになりました☆これは奇跡の酔芙蓉。一度根元から完全に折れてもうダメかというところまで行きましたが、私の思いが通じたのか、お世話をしていたらこんなに大きくたくさん花をつけるようになりました☆今でも中心の幹は折れたままなんです。自動販売機が邪魔なんですが、逆に何も知らない管理の人に切られてしまわないかちょっと心配になったりします。ここのお花を見ると、元気がない時でも「ちょっとがんばろう」という気持ちになるんです。一応、今日で仕事納め。休み期間にワックス清掃があるというので、研究室を綺麗にしました。床の荷物をあちらこちらに移動しただけですが。棚もまたゆっくり片付けないと。夕方、区役所で打ち合わせ。新しい区長さんとお話ししましたが、感じの良い方です。ただ、長期的に見ないと人は分かりません。また、区民が区長を選べないシステムはなんとかしたいものです。帰りにスーパーの屋上で山越に花火が見えました!今日は琵琶湖花火大会です。この場所で見えるのを初めて発見しました。ジム近くのドトールでチーズケーキを食べながら、ささやかに仕事納めのお祝いをしました☆

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│-│-│2019/08/08(木) 22:50

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伝統文化が生きるまち

夜暑苦しくて目が覚めました…。これから熱帯夜が続くのか…。バテないように気を付けましょう。ようやく那智研修の整理ができ、ちょっと落ち着いてきました。夕方から清水焼きの郷会館で10月の陶灯路の打ち合わせに参加。この会館の事務局には卒業生が2人もいて、とても縁のある場所です。今日は全体のテーマに則した空間デザインと月輪未生流華道展示の方向性について検討しました。先週は信楽焼で、今週は清水焼。陶器のことはあまり詳しくないんですが、なぜか接点が多くあります。陶器だけでなく、華道や茶道など、やはり京都にいると様々な伝統文化を身近に感じます。ただ、打ち合わせしながらペットボトルで飲み物を頂くという矛盾。いつもなんとかならないものかと思います。今日のお菓子は生協のアーモンドマドレーヌ。初めて食べましたが、オーソドックスで飽きの来ない味でした☆

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│-│-│2019/08/07(水) 22:34

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神は存在するのか?

原爆の日から今日で74年目。NHK特集で新しい平和資料館について解説していましたが、よい方向にリニューアルされているようで何よりです。子ども達が怖がっても困りますし、何か共感ができるような仕組みが欲しいと思っていたので、新たな展示は今のところ成功しているように思われます。話は変わりますが、最近読了したのが戸矢学氏の『縄文の神』です。彼は歴史学者ではないので、「それはどうかな?」と思う部分や、「あの神には触れないのか?」と問いたくなることもありますが、日本人の古い信仰について明らかにしようとする姿勢にはとても共感します。私は東日本大震災が起きるまで、神を信じることはまったくありませんでした。しかし、震災後、東北の縄文文化に触れることで、自分の感覚が少しずつ変化していく部分がありました。それが何なのか未だによく分からないのですが、目に見えない誰かと会話しているような感覚を持つことが多々あったのです。それ以来、神社に出向くことが不思議と多くなりました。また、数年前に父が脳出血で倒れたとき、その前後で私の身体に異常な変化がありました。しかし、精密検査を受けても何の異常もありませんでした。何か目に見えないサインを感じた瞬間でした(思い過ごしかもしれませんが…)。私は特定の宗教を信じるということではなく、宗教が起きる以前の日本古来の信仰形態に非常に惹かれるようになっています。社殿・拝殿を取り去ったところにこそその原型があり、古代の人はそこに何らかのエネルギーを感じていたと思えてなりません。自分にはまだそれが何かはわかりませんが、奥の院などの現場には行くようにしています。地域研究をする意味でも本来の土地の信仰やエネルギーについて常に考えるようになっています。とにかく読みやすい本でした。

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│-│-│2019/08/06(火) 23:38

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