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アラカルトNHKの金曜ドラマが面白い今日はすっきりとした快晴が広がる陽気でしたが、午後にまた偏頭痛が…薬は飲まずにじっとしいてたら、今頃になって収まりました。いつものことながら、不思議です。◆うちの大学は卒業証書授与式を行う予定でしたが、夕方になってそれも中止という決定がなされました。もう何が何だか分かりませんが、ちょっと悲しい。でもこの状況では仕方ないですね。◆話は変わりますが、毎週金曜日はNHKの夜のドラマを見ています。見られないときは録画で。今期の「ハムラアキラ」(女性探偵のお話、画像は公式HPより)もかなりツボにはまっています。ま、今夜が最終回なんですが。この金曜ドラマは女性が主人公なので、大人の女性をターゲットにしているのだと思われますが、男性が見ても面白い。昨年の「トクサツガガガ」や「ジコチョウ」は、それぞれ全然テーマは異なりますが、取り上げる視点がユニークで結構引き込まれていきました。ハムラアキラの場合は、ハードボイルドな要素がふんだんにあり、また、昭和の匂いがプンプンしていて最高でした。編集制作おつかれさまでした☆
│-│-│2020/03/06(金) 22:46│
アラカルト「本圀寺の変」と光秀今日は雨が降ったり晴れたりが繰り返す変な天気でした。京都や滋賀でも新たな感染者の報告があり、いよいよ身近に迫ってきた感じです。来週の卒業式は中止になりましたが、学位記授与式は時間を30分に短縮して行う検討を行っています。郵送に切り替える大学も多い中、どうなるのでしょうか。◆ようやくまとまった時間がとれるようになりましたので、執筆活動を始めます。昨年、本圀寺さんから頼まれていた、境内にある磐座についての原稿を仕上げます。だいぶ時間が経っているので思い出しながら書きましたが、「護山會報」というかなりかしこまった冊子なので掲載していただけるかは不明です。ところで、本圀寺は歴史的に様々な人物と関わりますが、中でも大河ドラマの明智光秀とは「本圀寺の変」で深く関わります。「本能寺の変」とはまったく違う事件です。時は永禄12(1569)年1月5日、京都本圀寺(現在とは別の場所)にいた室町幕府15代将軍足利義昭を三好三人衆らが襲撃した事件で、この時に光秀は将軍を守り功を立てるのです。戦国時代の人は、それこそ毎日が「必死」だったわけです。
│-│-│2020/03/05(木) 22:10│
アラカルト成らぬは人の為さぬなりけいつもは、週に2,3回、仕事終わりにジムに行くのですが、この時期はさすがに控えます。もともと体育会系の人間ですので、じっとしているのが実は苦手。夜にスーパーに行ったら、今日は棚の3分の1くらいはトイレットペーパーとティッシュがおいてありましたが、それでもみんなバカバカ買っていきます。有事の際の生存本能(この場合、「棚が空」という危機意識=正常性バイアスが崩壊した状態)というは、ある意味コントロール不能というか冷静な判断を阻止するのかも知れません。逆をいえば、この心理意識を応用すれば、効率の良い避難誘導手法が開発できるのかも知れません。◆ところで、今日から大学のHPがリニューアルされました。新しいタグライン(キャッチコピーみたいなもの)が、発表されました。「変化を楽しむ人であれ」。まぁ、なんというか、これからも変化しますよ〜みたいな宣言でしょうか。うちの大学は変わりすぎなんですけどね。確かにこの少子化の時代、大学の経営とはほんとに難しいと思います。変化ということであれば、私は生きるために何でもしてきました。おそらく私だけですよ、新学科の中で「文学部出身」というのは。それがどれだけ大変なことか、言葉ではいいつくせません。でも、それでいいと思っています。自分自身をカメレオンのように変化させてきたので、他にはないものの見方ができると信じています。楽しめる余裕があったかと問われれば、まったく「ない」。むしろ必死で変化に対応するよう努力してきただけです。ただ、そのおかげで自分の知らない一面を知ることができたのは面白いし、自分の強さは「結果を残せるところ」だと思っています。どんなに理屈を並べても結果がでなければ意味はないし、役に立たないのです。基本理屈だけの人は信用しません。腐るほど見てきましたし、そういう人ほど動かない。なので、泥臭くとも結果を残すことにこだわっています。私のいう「必死」というは、「死ぬ覚悟をもってことにあたる」ということです。すべてにおいて全身全霊で取り組みます。人が行きたくないところにも平気で突撃していく覚悟をもっています。いいにくいこともあえていいます。とくに地域政策においては、そのレベルでないと「変化はしない」と考えています。変わらないのは、その「覚悟が足りない」のです。尊敬する上杉鷹山さんの言葉に「成らぬは人の為さぬなりけ(成果が得られないのはその人の努力が足りないからである)」がありますが、その通りです。不平不満ばかり並べて努力や行動をしなければ、当然結果は得られません。そうはいいつつも、体は一つしかないのでできることは限られますし、最近は少しずつ働き方改革をしています。楽しむように働くではなく、楽しいと思える仕事を選ぶようにしたいと考えています。
│-│-│2020/03/04(水) 23:07│
アラカルトトイレットペーパーのない時代はどうしていたのか?今日は雛祭りですが、新型コロナの関係で華やかな気分にはなれませんねぇ。メディアでトイレットペーパーがないと叫んでいるので、本当かなぁと思いいつものスーパーで棚を覗いたら見事に空。昔オイルショックの時も似たような状況になったのを思い出します。なので、今年は「コロナショック」の年と言っても良いかもしれません。先の不安が購買行動に駆り立てるという経験はこれまでにもあったわけですが、歴史は繰り返すということでしょう。ところで、トイレットペーパーがない時代はどうしていたのでしょうか?トイレットペーパーのようなものが登場したのは、江戸時代後期頃と言われています。その頃は質の悪い再生紙を使っていたのです。だから、ペーパーがなければ新聞紙で代用すればいいくらいに考えればよいと思います。もちろん流すことはできませんし、匂いは多少残るかもしれませんが。最近は新聞を読まない人が増えていますが、新聞って緊急時にはいろんな用途に使えるんですよ。それ以前の古代・中世の時代は、用を足した後に木片を利用していたようです。さらに縄文時代にはどうしていたかというと、なんと割れた土器を利用していたそうです。ちょっと痛そう。あと、葉っぱなんかも使っていたんじゃないかとも思われます。まぁ、こういう機会に、生活史に関わることを博物館がもっと積極的に体験を通じて理解を広げて欲しいなぁと思います。本来、人間以外の動物は用を足した後にお尻を拭いたりしませんので、ペーパーがなくても死ぬことはありません(極論ですが)。マスクにしても、外出用くらいならハンカチやバンダナで十分だと思いますし、それらは洗濯して繰り返し使えます。むしろ医療機関や福祉施設のマスクや除菌グッズが足りないようで、そちらの方が深刻です。冷静な対応を期待したいと思います。◆午後に山科区役所で会議がありましたが、入口の花壇が綺麗に整備されていました。いつも「花と緑のまちづくりサポーター」という方々が整備されているようですが、こうした活動をもっと広げていけないかなぁといつも思います。町に高いビルを建てるのではなく、花と緑を増やしていきたいんだけど。もう手遅れかなぁ。会議の後にイオンタウンで一服。ワダプリンというのが柔らかくて美味でした☆
│-│-│2020/03/03(火) 21:20│
アラカルト共生社会を実現するには今日はほんとに気持ちの良い陽気でした。こんな穏やかな日が続くといいのですが。◆今朝も変な夢を見ました。またしても、近未来です。場所は特定できません。日本であることは間違いありません。私はバスの運転手。普通のバスではなく、自動運転のバス。ただ、完全自動運転ではなく、有人の監視が必要なタイプ。おそらくレベル3くらいの段階でしょう。ほぼほぼ車が勝手に操作してくれるのであまり仕事がなく、そのため眠くなって仕方ないのです。本当は寝てはいけないのでしょうが、やることがないのでついウトウトしてしまいます。でも、お客さんや会社に怒られるわけでもなく、皆そんなものだという認識で利用しています。こんな夢を見るということは、体が疲れているということでしょうか。◆さて、今日は栗東市役所の竹山さんから御著書(共著者)『共生の思想と作法』(法律文化社)を頂戴いたしました。ありがとうございます。この本の特徴は、中にも書かれていますが、理論研究と実践研究をバランス良く入れ込んだところにあるとのことです。これまでそうした文献があまりなかったようですので、そういう意味では貴重な文献の一つとなるかと思います。ただ、共生を考える基本的な枠組みについて、何度も読み直すんですが「スッ」と頭に入ってこない点が少し気になりました。共生というと、うちの大学の教学理念が「自立・共生・臨床の知」です。なぜ共生があるかというと、2005年に共学にしてから、女性だけでなく男性が入ってくることでの共生が最も大きな点かと思います。もちろん、それ以外の共生もありますが、当時はその点は重かったです。今となっては笑い話ですが。ただ、実社会の中で、男性と女性の共生が本当に進んでいるかといえば、日本はまだまだ男性優位の社会といえます。一方、長い日本の歴史を見るとそうではありません。古事記、日本書紀の記述を読むと、大和朝廷が誕生する以前の日本には女性のリーダーが数多くいたことが覗えます。しかし、神武天皇は彼女らを皆殺してしまいます。その後は、男系天皇を中心として今日まで続きます。したがって、弥生もしくは古墳時代頃を境に日本は女系リーダーが少なくなるわけです。縄文時代には大きな戦争の痕跡はほとんどないとされていますが、大陸文化が入ってきてから戦が絶えなくなります。あの卑弥呼も、国の混乱を沈めるために表舞台に立つわけです。思うに、女性リーダーを立てた方が共生が進み、対立が少なくなるのではないでしょうか。一度、天皇も総理大臣も女性にしてみたらと思ったりします。それはとにかくとして、私も20年近く地域政策を担ってきましたが、何が困るかというと、とにかくどこに行っても地域のまとまりがないことです。お互いがお互いの足の引っ張り合いをしている。ほんとに悲しい気持ちになりますが、それを少しでも理解していただける人とどうにかするというのが私の仕事だったように思います。「人間というのはなかなか理解し会えない(共生できない)」というのが、率直な印象です。だからこそ、そこを繋ぐ人材(コーディネーター)や中間支援組織というのがほんとに重要になると考えています。
│-│-│2020/03/02(月) 23:07│
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